重力を離るる寂しさに蝶は(夏井いつき)

・秋田では日曜正午から放送している「プレバト」はあまり見ないのだが、国語教師なので俳句の添削は大変勉強になる。以前、あるクイズ関係の方(別に伏せなくてもいいのだが)から「プレバトの先生の言っていることは合っているのか」という趣旨のことを訊ねられたことがある。

 

・その時はあまり準備がなかったので、夏井氏の添削は俳句のセオリーに完璧に沿っている旨を伝えたのだが、何か言い足りない気がしてモヤモヤが残った。ところが、「イチグラ」でクイズ問題の添削みたようなことをしているのを見て、「プレバト」との違いが自然と意識され、モヤモヤが少し晴れた。

 

・「プレバト」での夏井先生の添削は、余程月並みな発想による駄句でもないかぎり、作句者の発想を最大限活かすように句を作りかえる。具体的には、助詞を変更したり、語順を変えたり、(上級編だが)破調にしたり、もっと良い季語(揺れない季語とか、ぶつからない季語とか)を提案したり、純粋に「技術面」のみの添削にとどめることが多い。あくまでも表現したかったことを作句者に直接訊ねた上で、最も効果的な表現方法を提示する。こういうところは、やはり「師匠」というより「学校の先生(夏井先生は元中学教師)」だなあと思う。

 

・で、芸能人というのは「人と同じことをしない」というルールを遵守して生きている人達だから、おしなべて発想がユニークで面白い。夏井先生は極力その発想を尊重して添削をしているのがよく分かる。

 

・要は「人と違ったユニークな着想を得て」「それを効果的に表現するための技術を持つ」ことにより、優れた俳句が生みだされる、っつーことだ(言っておきますが、本当はもっと丁寧に丁寧に書きたいところですが、長くなるから雑にまとめてるだけです。俳句を知らんヤツは黙ってろ、と言われても困るので)。

 

・「効果的に表現するための技術」の部分は、添削により技術向上が望めるだろう。「べからず集」を読むのも大切だ。一方、「人と違ったユニークな着想を得て」の部分は、指導してもらってどうなるものでもない。ここに「個性」が現れる。言ってしまえば「センス」で決まる部分だから、教えようがない。古今東西の句を読みあされば、割と俳句でよく出る発想は分かるだろうが、よく出る発想で句を詠んでも評価されない(解釈の技術は上げることができる)。再び雑な言い方をすれば、「上手な句」「俳句風の句」はできるが、「名句」はできない。俳句の歴史をどう勉強しまくっても、「三月の甘納豆のうふふふふ」(坪内稔典)とか「花びらを追ふ花びらを追ふ花びら」(夏井いつき)のような句は、出てこない。ただ、「センス」を自ら鍛えることは、できるかもしれない。

 

・さて、やっとクイズの話である。「イチグラ」のコメンテーターのうち、U22編集チームを除く方々は、夏井先生をものすごく柔らかくしたようなコメントをされている。すなわち、作問者の意図を汲んだ上で、最低限のアドバイスにとどめようとしているのである。だが、U22編集チーム(チームと言っても実際は1人だろうが)の方は、「技術面」のアドバイスに留まらず、「発想」にもアドバイスをしようとしている。

 

・クイズ問題の作問においても基本的な考え方としては、「発想」を伝えるために「技術」がある、と考えるべきではないか。だから、アドバイスは極力「技術面」にとどめるべきではないのか。基本的にクイズ問題は「作問者がどういう発想を用いて作問したいのか」が主である。昨今の前振り重視の作問形態の場合、その「発想」は主に「どういう前振りを付けたいのか」によって具体化されているわけだから、前フリを変える提案をする必要はない。「他にどんな前フリがあり得ますかね」と聞かれれば別だが、私なら「自分で考えたら」と突き放すかもね。ともあれ、いろいろ可能性がありうる中から選んだ前フリを使っているはずだから、その部分のアドバイスはしないのがエチケットなんではないかな、と思うわけです。

 

・私は常々「初心者でも、クイズの問題を作った方が良い」と言い続けているが、これは「技術面」を早くから磨いた方が良い、という意味からではない。「技術面」など、クイズに触れていくうちに鍛えられていくものだ。そうではなくて、クイズをたくさん作って、他の人と自分の「発想」「感性」の違いを早くから知っていくことが大事だと思っているのである。こればっかりは、自作しないと分からない。

 

・世間では「クイズに強くなること」だけを考えがちだから、「初心者はなるべくクイズ問題を作らない方が良い」というアドバイスが多くなる。座学のためにはクイズの作問や読書に時間を食われるのが邪魔だからね。しかし、末永くクイズを続けるためには、作問そのものに楽しみを見いだし、そこに「他の人とは違う自らの分身としてのクイズ問題」「自分史としてのクイズ問題」を並べていくことを勧めたい。

 

・なんか、最後は俳句とだいぶ離れてしまったが、俳句の世界でも「初心者はまず作ってみよう」と言われる。クイズも、誰に何を言われても「オレはクイズ界に必要ない人間なのか」などと卑屈なことは考えず、じゃんじゃん問題を作って発表すればいいんじゃないでしょうかね。別に前フリを付けなくても問題は作れるわけだし。自分の発想の重しになるようなアドバイスなら、聞かない方が遠くまで飛べるよね。因みに私はクイズの作問において誰のアドバイスも受けたことがありません。

 

・この稿はこれで終わりだが、次に考えなければならないのが、「現代における上手な作問とは?」というテーマなのである。だが、これはまた今度。「志村けんの本当の革新性は何処にあったのか」とどちらが先になるか不明。

おしつけ道徳さようなら

・忙しい。生徒は学校に来ていないが(秋田市は4/13~26の間休校)、例年忙しい4月、仕事はいくらでもある。担任を外れたのに、県高文連の将棋部会の委員長になったり(私は将棋できません)、進路副主任をしたり(前任校で主任をしてたときより仕事が多い)。ということで、クイズ界で最も高文連と関わりのある教員として1年間がんばります(何を?)。

 

・唐突ですが、問題作りが上手だと言われたい人は、イチグラの記事(U22のほう)と『水上ノート』を熟読すれば良いのではないのでしょうか。この話は「プレバト」と絡めて書きたいのだが、もう少し後で。

 

・にしても、イチグラのU22編集チームのコメントは全然頭に入ってこない。個人の価値観なので否定すべきではないかもしれないが、「リンガーハット」を答えにしたい人達に対して、「木の耳」とかいうベタを提案してどうしようというのでしょうか。別に押しつけているつもりはないのだろうが、ベタ落ちが良問だと勘違いする学生が出てくるかもしれない。「木の耳」を外せば面白い問題だと思うが、早押しっぽくなくなるかも。

 

・そういえば、「早押し問題」を投稿するという設定だったが、私のように「どうせ正解が出にくいから、誤答罰をなくしてエンドレスチャンス」というルールを多用する人間にとって、問題構成は全然変わってくる。そこまで極端ではなくても、ダブルチャンスクイズにしたり、負けたらスカイダイビングにしたりするだけで、同じ早押し問題でも評価が変わってくるよね。

 

・『水上ノート』をパラパラ読んでいる。基本的に「ビジネスパーソンの勉強法」的な本があまり好きではなく、基本的に手に取ることはないのだが、この本は明らかにクイズ本としか言いようがないので研究のために購入した。ビジネスのコーナーにあるが、ビジネスパーソンが手に取ることは、絶対にないと思う。この本の内容については追い追い触れていくことにして(どうせ書かないんだろ、という国民の声が聞こえてくるが)、ひとつだけ気になったことをまず書いておく。

 

・いわゆる「学生系クイズ」が出てきたとき、「長文」クイズを編み出したのが東京大学立命館大学大阪大学の学生だという記述がある。当事者だから書くが、私が東大クイズ研に在籍した1994~97年度において、長文クイズは東大で殆ど行われなかったと思う。私の3学年下の人達(特に、後にマンオブを制する塚本くんとか)は出していたが、「編み出した」わけではない。1995~97年に、最も多くのクイズ問題を東大で出題した(たぶん)私が言うのだから間違いない。まあ、この頃「長文クイズ」は割とインカレサークルっぽい団体(各大学のクイズサークルだけでは満足できない人達が作っていた)で主に行われていたと思うので、わざわざ大学名を明記しない方がよかったかもね。TQCって、そんなにクイズ界で王道を歩み続けてきたわけではないのよね。

 

・なぜ東大クイズ研関連の勉強法書籍が出版されるのか。その辺の分析も終わっているので、また今度。

手とり足とり教えます(この歌詞は何という歌シリーズその1)

・フジテレビで放送されたドキュメンタリー番組に、「放送禁止歌」(森達也)というのがある。この中で「言葉を言い換えて唄う気は?」と聞かれた高田渡氏が、いつになく厳しい声と表情で「しない、そういうのは一切無いですね。そういう風にして表現したいんだから」と述べるシーンがある。このときの高田渡は本当にカッコいい。

 

・補足すると、この番組は書籍になっており、その中にこの部分の経緯が詳しく述べられている。このとき高田渡は、「生活の柄」をNHKで歌わないでほしいと言われたことを話していた。理由は「浮浪者」という言葉が入っていること。そこで森が「じゃ、浮浪者をホームレスに言い換えて歌えばいいんですね?」と挑発的に訊ねる。すると(書籍によれば)「絶対にそれはない。歌とはそんなものじゃない。もし言葉を言い換えたならその瞬間に、この歌は意味をすべて失う・・・・・・だったら僕はもう歌わない」と言ったとされる。

 

・もっとも、吉田拓郎は「見ている者はいつもつんぼさじき」を「いつも蚊帳の外で」と言い換えてるけどね(名曲「ペニーレーンでバーボン」ですね)。

 

・などという話を、「日経イチグラ」を見て思い出したとさ。

 

・私は新聞に詳しくないので、「U22」の中の人がどういう素性の人か分からない。ただ、他人のクイズ問題を勝手に添削(全然講評じゃねーじゃん)している以上、名前くらい明らかにしたらいかがなものか。そもそも、クイズ問題を添削するなんざ、元々の募集要項の何処にも書いてないんじゃないの? 勝手に添削しているとしか思えない(もしかしたら「添削しますけど、いいですか」くらいのアポがあったかもしれないが)。で、何というか、作問者へのリスペクトが無いんだよなぁ(その辺、さすが現役プレーヤーたちは今のところ品位を保っているように思う)。これが「クイズ添削道場」に投稿してきた問題なら、いっくら添削しても良いと思うがね。

 

・また、知識のマウントを取りにいっている感じもなんか嫌。いかにも「オレの方がものを知っているから、問題を直してあげてやってるんだ」という印象がする(個人的な感想です)。こんな衒学的で偉そうな話を、北から南まで続けるのだろうか。しんどいわ。これにつきあう講評担当のプレーヤー達もタイヘンだわね。まあ、衒学的な話に広がりうるクイズ問題が多い現状にも、多少原因はあるにしても。

 

・つーことで、「いずれ書く」と言った話よりも、U22氏の話を書いてしまった。クイズが広がるかどうかの話は秋元さんにおまかせします。

「うるわしの」もしくは「かぐわしの」

・親知らずを抜いてから、やけに疲れやすい。更新するのも滞る日々。

 

・先日更新したボツ問題の解説に誤りがあったので、訂正しました。お詫びします。アホですね。指摘してくれたツッチー、感謝します。彼のクイズ問題もなかなか味があるので、是非ご覧頂きたい。既存のクイズに基準を置かずに作る問題からは、何というかうるわしさというか、かぐわしさというか、何とも言えない良い雰囲気が感得されるものである。

 

・「99人の壁」であるが、実は「99人未満の壁」だったということが判明(あれを「ヤラセ」と呼ぶのは日本語として違和感があるけど)。100人もいれば、どうしても前日とか当日とか急に欠席連絡をしてくるはいるわけだから、きっと欠員補充のエキストラがいるだろうな、という想像はしていた。ちなみに、私は100番に近い人達はきっと答えない人達(=エキストラ)なんじゃないの?と思っていた(根拠は省略)。

 

・で、ネット上では色々な意見が出ている。まあ、自分は出演していたときからエキストラの存在は想定していたし、正直言ってテレビなんかそんなもんでしょ、と思っているので、それほど腹立たしい気持ちは無い。ただそれは私が良い思いしかしていないからであって、やっぱりシャクに障る人の方が普通なんだろうと思う。そりゃ、アタック25の4人のうち1人はサクラですよ、ということになったら、予選を通らなかった人は納得しないだろう。

 

・やっぱり公募して出演者がいるような番組では、こういう「インチキ」はしない方が良いだろう。つーか、前も書いたが、クイズ番組はアンフェアにやろうと思えばいくらでもできてしまうタイプの番組なので、「公平にやっている」ということを証明する仕組みが無ければならないのだが、これがなかなか難しい(アンフェアをウリにする「アイアイゲーム」とかなら別だが)。

 

・歴史的に言って「テレビ=権威」だった時代が長すぎたために、「テレビのクイズ=公平なクイズ」と見なされてきてしまった。だから、「公平にやっている」という演出や証明は必要なかった。ところが、視聴者参加クイズ番組が低調であり続けた平成中期の間に、「テレビ=権威」ではなくなってしまった。そこに視聴者参加番組が復活してきて、昔のテレビ制作の感覚で当たり前のようにエキストラを入れた。そこに「公平か否か」を問う視線は入らなかった。

 

・これからの視聴者参加クイズ番組には、「公平性の確保」を演出として入れることが、どうしても必要になろう。でないと、参加しようという出場者がいなくなってしまう。いや、「視聴者参加クイズ番組」が無くなってしまう方が先かも知れない。どんな番組を作っても、何処かで足下をすくわれて、叩かれる。「視聴者参加クイズ番組」ほどリスキーな番組はない。思い通りに動いてくれない(=急に休んだりするしそんなに面白くない)一般出場者なんか、使わなくていいや、とテレビ局が再び思うかも知れない。ただテレビ番組の存続は時代が決めることだから、仕方ない。

それで自由になったのかい それで自由になれたのかよ

・やっぱ書かずにはいられないので、書きましょか。ちょっとだけ。

 

・「イチグラ」である。私の立場は、既にここに記したとおりである。で、今回の審査講評であるが、現在公表されている「日経賞」「QuizKnock賞」については、まあクイズの世界を広げる役割は果たさないと言ってよいのではないか。

 

・まあ、従来の早押しの「約束」に沿った問題作成を上手にしないと受賞できないわけで、言ってみれば小学校の読書感想文コンクールのようなもの。第2回とか、最高傑作の第3回があれば、そういう問題ばかり投稿されるようになるのだろうか。そういう問題ばかり集めてどうすんだろ。

 

・イチグラについてはすべての賞が発表されてからまた書く。まだ審査員は3人いるわけだから、なるべく違った観点から選んでほしいものであるが、果たして。もうちょっと「早押しとはこうあるべきだ」から自由になってほしい。「べきだ」とか「べからず」とかで縛る文化なんか、ろくなもんじゃない。そういうものを越えた問題を評価してほしいのう。

 

・クイズの世界は広めないが、私の「クイズ研究」には恰好のネタを提供してくれていることも事実。現今のクイズ業界で、どういう出題の仕方が良しとされているのかがよく分かるから。これについても、今年に入って詳しい分析をしつつあるから、いずれ書く。

 

・一応書いておくと、「サブスク」の問題は(類題は山ほど出まくっていると思うが)語源に頼らず、日本語も非常に自然であり、高校生(中学生だったりして)が作った問題として非常に好感が持てた(田中健一さんが作った問題、と言われたら騙されるかも)。ただ、早押しだから途中で押して「サブスク!」と答える人がいたら・・・と考えて、私なら「ビジネスモデルを何という?」で終わらせる。ここで「サブスク」と言わせないために語源(英語で「年間購読」という意味がある・・・)を足すのは気持ち悪いし、そもそも「サブスク」が分かれば充分かなと。

 

・全然関係ない話。今年の東大入試の物理第1問の最後の問題は、なんか頭脳王に似ている。簡単な式を立てて代入すれば良いだけ。見かけ倒し。

おんなじこと2回もやってんねんから(田中だよ!全員集合~)

進学校の3年担任などということをしていると、前期入試までひたすら忙しい。毎日東大の過去問(国語)を解きまくっている。ということで、前期入試の日は朝から東大近辺に出没(もちろん仕事)する予定。

 

・先週末のクイズ的なものにひとことだけ。

 

・「頭脳王」について一応確認。問題作成者と解答者の知恵比べになっていないから、見ていて全然ドキドキしない。完全に参加者が作題意図を見切ってしまっているのが視聴者にビンビン伝わってくるのだ。いや、正確に言えば、参加者が作題意図を見切れるような問題をわざわざ出題しているのである。だから参加者は「ああ、こういうことをしてほしいのね。そうすればオレは頭良く見えるのね、それが演出意図ね」と考えて、行動することを求められている。

 

・これを実現するために、一見難しそうに見えて、最短距離に気付けばかなりのスピードで解けるような問題(もちろん、暗算力とか記憶力とかが並外れている人なら、という条件が付くが)とか、過去問の簡単な分析により事前に対策できるクイズ問題ばかりを出題しているわけですな。

 

・別に参加者を批判したいのではない。優勝すれば100万円なんだから、参加者はそうやって対策でも何でもして、勝ちに行ったら良いと思う。なお、クイズの優勝賞金に100万円がふさわしいか、という議論が散見されるが、私としては「100万円くらいがちょうどいいんじゃないか」という立場である。クイズで1000万円とか1億円は、ちょっともらいづらい。

 

閑話休題。私は別に「頭脳王はヤラセだ」と結論づけたいのではない。そもそもクイズ番組に限らず、テレビ番組全般には、昔からこういう構造が多かれ少なかれ埋め込まれ得るものなのだ。ただ、それが度を超えて露骨に行われてしまうと、「クイズ番組」延いては「テレビ番組」というものに対する信頼感が失われるのでないか、と危惧する。同じ手を何度も使うのは、どうなんだろうね。

 

・ジグソーパズルの問題なんかは、過去にも出た訳だから、もう少し悩ませるような作りをしたらよろしいのではないか。例えば、凹と凸が2個ずつのピースが欠損しているようにするとかさ。そうしないで凹と凸の配置が一意に決まる(=凹凸を数えるだけで書けてしまう)ものを前にも出したし、今回も出した。こういう出題の仕方ができてしまう作問者の発想が全く理解できない。

 

・「99人の壁」。番組としては成立しているんだから、全然いいのです。そりゃ、秋田から来た普通のおっさんが100万円とったり、ドラマ好きなおねえさまがワンシーンを演じたり、そういうのを見たい私からすれば、物足りない感じはしますが、そんな一部の視聴者は無視して良いのです。

 

・もう一度書きますが、あの頃の「99人の壁」はもう戻ってこないでしょう(鶴くんには申し訳ないが)。たぶん、スペシャルですらあの形式ではもうやらないのではないか(全員が同じジャンルとかならあり得るが)。100ジャンルの問題を用意する番組的な体力は、もう無いのでしょう。そんな気がしますな。

 

・それは元々、無理も無いことなのである。有り体に言って、レギュラー開始当初、番組作りに手間を掛けすぎた。業界注目度も高く、クイズ問題にもクオリティが求められるし、出場者にも個性が求められる。たいして面白くもない秋田のおっさん(しつこい)より、キャッチーな小学生とかマニア丸出しの人とかの方がいいよね。

 

・どうも私は難読漢字系の問題が好きになれないのだが、世の中漢字問題好きなのね。こないだたまたま目にした「潜在能力テスト」で、漢字の読み方しりとりをしているのを見て愕然とした。「雑学王」のパクリじゃん。もっとも、「漢字の読み方しりとり」の何処が雑学王なのかも分からないけど、ってそんな話はここですでに書いていた。

 

・問題についてひとつだけ。難読名字については、怪しいものも含まれていたような気が。「全国〇〇人」ってのも怪しい。家の森岡浩本(3冊)や丹羽本や佐久間本にも、全く掲載の無い名字がいくつか見られた。基本的に、「自分で確認した名字しか発表しない」森岡浩さんに監修してもらうのが安全だと思う。

 

・ブロッカーの学校の先生たちも、校長から非常勤講師まで硬軟取り混ぜていたが、クイズ屋さんもたくさんいたのう。アタックで対戦した方とか、オープンで対戦した人とか。