ロマンスの神様(開き直ったアーティストシリーズその1)

・「アタック25」、録画していたものを視聴。まあ、番組的には理想的な展開だったんじゃないでしょうか。

 

・ 私の感想は「こんなもんだよクイズなんて」。スイスの公用語の問題がネットを賑わしているが、ウルトラクイズでは「イタリア語」が答えだったわけで、まあそんなもんだよクイズ番組なんて、としか言いようがない。これを機に「アタック25は競技クイズの作法を無視しているので、我々は断固として出場しません!」という人が出てきたりして。なお、私見ではスイスの公用語からフランス語を聞く問題は、別にありかな、と思う。少なくともアタック25界隈では、「スイスの公用語は」「ロマンシュ語」と超早押しされるという認識は、ないだろうからね。

 

・つーことで、「ロマンシュ語」に限らず、クイズの神様のいたずらが、分かりやすい形で至るところに仕掛けられていた。他人事だと、こんなにも楽しい。

 

・私的な今回のポイントは、水滸伝の問題で「宋江」という答えがありうる段階で「108人」と答えたところ。ここに赤の方の老獪さが垣間見えたら見巧者と言えよう。今回の放送、赤の方に注目して見直すと、また違った面白さがある。非常によく我慢されていると感じ入った。

 

・「ユリイカ」の感想はいろいろあるが、時間がなくてなかなか書けない。「競技クイズ」について、クイズは競技に向かないとする徳久氏の考えには首肯する。私は「競技クイズの『競技』というネーミングは、目指す理念を表明したものに過ぎない」と考えている。もっとも、「クイズは競技的であるべきだ」という理念の具体的内容が人によって違ってくるから面倒くさいことになりやすい(理念とはそういうものだが)。

 

・ここでいう「理念」には、「(現実はそうではないけど)理想として提示するクイズについての考え方」というニュアンスを含む。例えば「オープン大会」の「オープン」も理念に過ぎない。「実力ナンバーワン決定戦」も然り。「史上最強のクイズ王決定戦」も理念。対して、「1億2000万人のクイズ王決定戦」は、理念とは言えないかな。むしろ「?のつくすべてのことがクイズになる」が理念ですね。

 

・「史上最強」は「理念を提示した初めてのクイズ大会」と言えるかも知れない。その意味でも現代クイズの祖であろう。競技クイズを含む現代クイズの多くは、理念を提示して共有するという手続きを踏んでいるからである。

 

・と、こういうことはもっと細かく分析しなければならないわけだが、とりあえず思いついたので書いておく。直感でしかないが。

究極のジャンル早押し通過クイズ(言い過ぎなタイトルシリーズその1)

この記事を見て、思い出したことがある。私も、この本は所有している。

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・元々は水谷さんの家で見たのだが、その後購入した。自主出版のため、なかなか流通していないようだが、この本以上に密度のあるクイズ本は、他にあまり見たことがない。平成5年発行だが、所謂クイズ屋の人の編集したクイズ本で、この本を越えているものはちょっと見たことがない。

 

・記事にもあるように、26人の方が1人1ジャンル、だいたい30~40問程度ずつ作成し、簡単な解説を施すというスタイルなので、問題の統一感に欠ける部分があるが、そんなことはマジでどうでもいい(統一感なんか、何ら重要ではない)。そもそも、問題の質はおしなべて高い。が、私が気に入っている一番の理由はそこではない。

 

・先に掲げた26人には、有名プレーヤー(カプセルクイズ経験者とか)もいるが、ほとんどはごく普通のクイズプレーヤーである。この「ごく普通のプレーヤー」たちが、1人1人別々のジャンルの問題を持ち寄るというスタイルが画期的なのである。

 

・自分が詳しいジャンルの問題を、必ずしも詳しくない人達にどう出題すれば面白い問題に仕上がるか。その料理の仕方を感じるのが面白い。文体が必ずしもこなれていない問題もあるが、ネタ選びがしっかりしているので、そんなに気にならない。何よりも、作っている人が楽しそうなのだ。そんなの分かるのかよ、と思う人もいるでしょ。分かりますよ、問題作成してれば。好きなジャンルの問題を作るのが、楽しくないわけないじゃん。

 

・ちゃんとした生活を送っているクイズ好きがある程度の人数集まったら、こういうアンソロジーを作るのは楽しいだろう。しつこいようだが、私もそれに倣い、大学のサークルの同学年の人達の問題を集めて冊子にした。殆どがクイズプレーヤーという自覚のないクイズ好き(クイズに強くなる気がさらさらない)集団だったから、今読んでもバラエティーに富んで面白い。

 

・「クイズの饗宴」を読むと、クイズ問題作成の初心者でも、自分の得意ジャンルの問題作成をすれば、割と簡単に問題作成のコツがつかめると思う。同じジャンルばかり作ってどうすんの、と思うなら、私みたいにHPで発表するとか、私はやらないが「みんはや」で出すとか、いくらでも成仏のさせ方はある。西岡くんが何処かで言及していた私の「ダウンタウンクイズ」、問題作りは最高に楽しかった。

 

・ということで、鶴君の「進学校100問」とか、秋元さんの「洋楽の脚韻100問」とか、クイズプレーヤー選りすぐりの「究極のジャンル別クイズ」を腹一杯味わいたいものである。

トッパライでチェージューって言ってたんだけど、ゲーマンでいいかな(名作「竜泉七変化」より)

・「クイズ界論」にしろ「クイズ論」にしろ、論じる対象は一般論としての「クイズ界」とか「クイズ」とかなのに、「それを好きな自分という人間」の存在が個別に否定されたと思ってしまっている人がいるような気がする。Twitter上での議論により、こういうことが(クイズに限らず)繰り返されているように見える。

 

・私がTwitterではなくブログという形をとっている理由の一つに、「ブログの方が一般論を述べているように見えるから」というのがある(もっとも、主因は「面倒くさいから」だが)。心地よい意見も胸くそ悪い意見も、Twitterの方が「自分に向けられた意見」と感じやすく、それだけ気持ちに刺さってしまうのではないか、と勝手な印象でそう思う。

 

・で、件のジャーゴンだが・・・ジャーゴンそのものは実はどうでもよくて、「このままだとクイズ界は一般と乖離してしまう」という危機感を持った人と、「今のクイズのまま一般を取り込むことはできるはずだ」という信念を持った人とが、ジャーゴンを象徴的なネタとして対立している、というところではないか。だから、一つ一つの用語法について個別論的に言い合っても、あまりクイズ的に得るものはないかと。

 

・第14回ウルトラクイズのレイクミシガンでは、事前に敗者予想の早押しクイズが行われたが、そこで「押し負けた」という言葉が使われていた。これもジャーゴンだよね。ほんのちょっとクイズをかじっただけの人が自然と使う、クイズのジャーゴンなんて、その程度のものよ。難解な概念を表す言葉なんかないもんね。

 

・「99人の壁」、会社経営者がやたら映りまくっていた。まあ、メンサの皮を被ったクイズ屋だから、そらそうだろ。小学生相手にムキになってブロックするなんて、何と大人げのないこと。と、他人事だとそう感じる。私もそう見られたのだろう。それが分かっててチャレンジしてきてるんだから、こっちも本気を出す。当然。だから、彼は非常に良い殺生をしたと、今度会ったら言うことにしよう。彼はウチのサークルの一員なのである。

あえて本音で上げてみる(教えよう!より)

・「ユリイカ」、少しだけ読んだ。自分の思考の整理のために少しだけ覚え書き。結構何回も書くネタができちゃったようなので。

 

・冒頭の鼎談。「共犯関係」にまで踏み込んで書いたことが驚きであった。もちろん、ここで述べられている共犯の内実についてはこのブログでもちょいちょい話題にしてきたし、分かっている人には充分分かっている内容ではある。ただ、共犯の張本人とも言える人物から、手品のタネあかしがされた。クイズを取り巻く状況が変わってきたということか。もしくは、単に氏にとってのビジネスモデル(=稼ぐネタ)が変化したということか。ともかく、結構本音が出ているように思った。

 

・学歴についての分析、東大王を殆ど見たことがない私は蚊帳の外。個人的には、東京大学に入った人間が、別にことさら頭が良い人間でもないだろうと思っているので、東大ってすげえなー的な演出は嫌いである。だから、学歴とクイズに関する分析はそもそも私に向いてない。

 

・私は、現在のクイズを分析する上で、避けて通れない要素として「自己顕示欲を満たすツールとしてのクイズ」という観点があると感じている。伊沢氏は「暴力性」と(多分哲学用語を意識して)述べているが、根っこは一緒だと思う。ただ、「自己顕示欲」と言うと露骨だよな。でも、ちょっとした自己顕示欲がほんのちょっとの努力で満たされ得る、稀なゲームがクイズであることは強調しておきたい。

 

・一番興味深かったのは、歌人佐々木あらら氏が書いていた、クイズ王ブームの後になぜクイズ番組の人気が急速に落ちたか、について。一般には「視聴者に飽きられた」とか「難問になりすぎた」と分析されるところだが、氏は「早押しクイズの『定型』が完成してしまったから」と分析。「史上最強」がその後のクイズにおける、ある種の「型」を提供していることは間違いないが、その構造的な問題がクイズのその後にどう影響したのか。

 

・そのことを知るためには、そもそもここで提供された「型」がどのようなものであったのかを明らかにせねばなるまい。もちろん、「型」は単に「文体」とか「語順」などを指すのではない。どんなネタに出題する価値があるか/ないか、とか、難易度設定はいかなる基準でなされるか、とか、そういうクイズの出題妥当性に関わるすべてにおいて一定の「型」がわりかし厳しく設定されている。

 

・厳しく設定される背景には、何らかの権威的な存在が必要となる。クイズの歴史は、クイズプレーヤーが何を権威としてきたか、その歴史でもある。で、クイズ史上唯一、その権威を一人で担う瞬間を持っていたのが、道蔦氏だった・・・というのは私の論。

 

 ・徳久氏は「クイズは世界に対する価値判断を含む営みだ」としている。そもそも価値判断を含まない営みが可能か、という問題は措いておく。私が知りたいのは、大多数のクイズプレーヤーにとってのクイズ的規範において、そこに反映されている「価値」はいかにして決定されてきたのか、という点である。どうせ種明かしするなら、そろそろそこに言及する人が現れてもいいのではないか。

 

・他にもモヤモヤいろいろ頭に残っているが、整理しつつ、少しずつ書く。

 

・こないだのボツ問。「どうみてもカタバミにしか見えないのに、別名を「クローバーマーク」という、自動車に掲示する標識は何?」という問題。なんか引っかけっぽくて出題しなかった。特にファンの人には。ちなみに、我が家の庭にはカタバミもクローバーも生えている。どっちも緑色だが。

うらみ侘びほさぬ袖だにあるものを此の四五日は雨の日ぐらし

・久々に、問題をアップしました。普段から「ちゃんとした問題」のみを好む人は、絶対に見ないでください。

 

・先日、あるペーパークイズをネットで手に入れて見ていたら、「雲隠れにし夜半の月かな」の詠み人は、という問題があった。

 

・仕事柄、私には一瞬で分かるわけだが、考えてみると「源氏物語」の名前のみの巻を「雲隠」と呼ぶわけで、蜀山人は「名ばかりは五十四帖にあらはせる雲がくれにし夜はの月かな」と狂歌に仕立てたことも割に有名(か?)。完全に暗記してなくても、カンとか連想とかで正解までたどれる、という意味で、面白い問題だと思う。

 

・ただ、こういう問題を見て、特に若い人達が「百人一首から問題を作れば、良問になるんだ」と安易に考えないか懸念してしまう。この問題、別に百人一首を題材にしたから良問になったわけではない。百人一首から作られた駄問はいくらでもある。だいたい、百人一首を暗記していることと、和歌の教養があることは必ずしも一致しない。もっとも、和歌の教養の有無をクイズで問う必要もない。もちろん、問うても別に良いけど。

 

・一つのテーマで作問がパターン化されて陳腐化したクイズ問題はわんさとある。確かに、百人一首の表を国語便覧とかインターネットとかで目にしながら、問題を作ることはいっくらでもできる(私はしたことないが)。ただ、そういうレファ本とかネットとかで問題を作ろうとすると、どうしても問題を探そうとしてしまう。私の理想は、問題の方から「降りてくる」ような状態。普通に生活したり、読書したりしていると、ちょくちょく問題が降ってくることがある。何とも説明しづらいが、出題する必然性が存在するのである。それに対して、探して作った問題は、何処か無理矢理な感じとか、「出題する必要ある?」と聞きたくなる感じとか、そんなのがプンプン臭う。早い話、良問になりづらい(なることもあるが、その辺の話はまた今度するかも)。

 

レファ本でも、ネットでも、パッと見たらパッと問題ができちゃった、というときは良いのである(上記ボツ問で言うと、最後の問題とかは森永HPから作成)。そんなときって自分の中で出題妥当性が高いことが多いからね。でも百人一首のように、さんざんネタにされまくったテーマに、そんな運はあまり残っていない。

 

・とか言っても「百人一首の勉強をみんながしてくるから、次はこんな百人一首の問題を作るぞ」と考えてしまう人が、きっと一定数いるんだろうなあ。「百人一首と作者を全部覚えた方がいいんだ」「そうすればペーパー1点上乗せできるぞ」という人達の存在は、良問を作ろうとするあなたの意識とは、全く関係がない。そのようにあなたは切り捨てられるか。解答者のその種の期待を裏切る方が、良問に近づけるような気がする。そんなふうに考える私の方が異端なのかもしれない。別に異端でいいけど。

準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響

 

・なぜか急にこんな書き込みが数日前に。私はこっちの方が御大の意見を簡潔にまとめているような気がする。この考え方に深く深く共鳴したから今の私のクイズ問題群が存在しえたのだ。つーことで、今回はちょっとだけ自分の話を。

 

・私にとっての水谷さん(私は他人を「先輩」と呼ぶのが苦手)は、はっぴぃえんどにとってのバッファロー・スプリングフィールドであり(譬えが分かりづらい)、大学入学後の2年間、とにかく「水谷記念」を熟読し、問題作成の極意を深く盗もうとした。そういう勉強のために読んだ問題集だから、正直言って問題と答えはあまり覚えていない。

 

・盗むことから入った私だが、ご自宅にも何度もお招きいただき、書棚を見るにつけ、「私と読んでいる本が全然違う」と思っては安心したものだ。知的なバックボーンが全然違うから(そもそも文系理系で違う)、方法論を真似しても同じようなクイズ問題にはならない。「問題似てるよね」と言われたこともない。しかし、私が水谷さんの問題の影響をメチャメチャ受けているのは間違いない。こういう話は個人的なことなので、また追い追い少しずつ。とにかくここを読んでから、問題群を堪能して欲しい。

 

・話を変える。「勝抜杯」のペーパークイズを大絶賛する声が多いことに、何か違和感を感じる。いや、ペーパークイズの質が高くないと言いたいのではない。そんなにああいう問題群を「良問」として理想化するなら、みんなで普段から作れば良いんじゃないの? 決して作れない問題群じゃないんだから。大絶賛している暇があったら、自分で良い問題を作ろうという気概を是非。

 

・最後にこの書き込みについて。戯れに書棚から該当書籍を拾ってみた。授業の例話のネタになりそうな本ばかりである。なお、ちくま新書は割にクイズ問題を作りやすい。というより、今の新書は(岩波新書ですら)内容が柔らかくなっているので、概して問題が作りやすくなってきている。作りやすいといっても、1冊につき2~3問くらいだが。 

 

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・どうでもよいが、本棚に私が唯一所持している「ユリイカ」が見える。ということで、次の書き込みは「ユリイカ」の感想の予定。

 

こりゃ大変ですヨとニヤついております

・本日、無事落掌。まだ読み始めていない。この本が当分私の文机に置かれ、読了後、古今の名著と共に書架に陳列されるかと思うと、柄にもなくにたにたしてしまう。

 

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・この私が2000問を読み通すのは何日後になることか。すばらしい日々だ。力あふれ。ということで、感想はまた今度~。