出えへんかったらあかんやん!(あるボケに対するツッコミ)

・最近地下に籠もってクイズを論じる文章をものしており、書けば書くほど調べることが出てくる。これまでクイズというものが、いかに「ちゃんと論じられてこなかったか」がよく分かった。

 

・多少個人的な雑感を。つーか、ブログってそういうもんなので、暇で暇でしょうがない人だけ読んでください。

 

・数日前、クイズの女神云々という話があったが、別に世間ではクイズの女神に好かれそうな、感じの良い人ばかりが勝っているわけではないので、あまり気に病まない方が良いのではないでしょうか。周りに高校生のころからテレビで名を上げたり、高校生クイズで勝ち進んだり、たかがお笑いが好きなだけで100万円かっさらったりした人がいるから、そう思うのでしょう。ちなみに、私はクイズを頑張ったことは一度もない。

 

・趣味で頑張るのは間違っている、というつもりはない。私は家庭菜園の農作業を、結構本気でやっている(ちなみに私は「食い物を作る人が一番偉い」という価値観で生きている)。作物が旨く実らないと、本気で自分に対して腹を立てている。クイズ関係者の方は、私のそういう所、あまり見たことないでしょう。私も農作業をするまでは、自分のそういう感情に気付かなかった。趣味には、そのように自分を発見する、という面が確かにある。

 

・一方、もう一つの趣味であるクイズは、勉強しなくてもそこそこ答えられたから、まあそれでいいかな、という向上心の無い「ちょっとした遊び」でしかない。多分、こういう価値観は「史上最強」を見なかったから養われてしまったのかも知れない。そこそこ答えられた、というのは、知識量が豊富だ、というのではなく、当時のクイズでよく出るネタの傾向が、私の知的興味の傾向にわりと重なっていた、というだけのことである。

 

・私は現在、クイズのメインストリームというのがどういうふうに変遷を遂げてきたのかを論じようとしている。その中に自分を位置づけようとしても、見事に「はまらない」のである。どうも、私はクイズのメインストリームというやつに、全くかすりもしないクイズ人生を送ってきた、ということだ。大瀧詠一「日本ポップス伝」は、最後にはっぴいえんど「風をあつめて」を配置し、明治100年の日本のポップスに自らを位置づけた(と同時に松本隆細野晴臣をも位置づけた)。そういうのカッコいいと思っていたが、私には全く無理。であるからして、極力ちゃんと論じる。だから、私の名前は歴史の中に全く出てこない。出てこないから、論じて良いのではないか、と勝手に決めた。今年中にできるのだろうか?

 

こんなのを見つけた。まあ、あんな寒いテントの中で3日連続クイズなんて、ほんとにアホですね。にしても、企画書の歴史的仮名遣いがひどい(わざとだけど)。何度読んでも「くひずに煩はされぬやうな、ものの謂へぬ畜生」は、我ながら名フレーズだ。うん、アホですね。「別にこれによってみなさんのクイズの実力を量るなどという下らない意図はありません」。言うねえ。

 

・全くどうでもいい話。このブログでは「おいでやす小田」さんを応援していますが、来年のR-1は彼で決まりでしょう。

固より、まだ世に行われておらぬ。

・現今のクイズの状況について、時代状況などと絡めながら分析をする論を書いている準備中に、昨日のような余計な書き込みをすると、どうしても言葉足らずになる。挙句、補足の書き込みが必要になる。ということで、非常に後悔している。

 

・今、構想中のことを少しだけ書く。構想中なので、読んでも分からないかも知れないが、とりあえず書いておく。あまり詳しく書くと、もう書く気が起きなくなりそうなので、ほんとにちょっぴり。

 

・私の今のところの分析では、「勝つことを目的として努力をしている」というのは既に「今風」ではない。「努力をすることが目的となっている状況」こそが、「今風」なのである。だから、『山月記』のように(私はあまり好きな小説ではないが)「詩家としての名声を得るため」という目的がはっきりしている努力は「今風」ではない。勤勉に努力することが自己目的化しているのが、主に現在の若い人達に起こっている状況ではないか、、、と。だって、本当に今の若い人達(の一部)って、私には考えられないくらい勤勉だもの。高校生と普段接しているから、なおさらそう思う。

 


・付け加える。普段の文章の書きぶりが書きぶりだけに、例えば「自らの努力を無にするから腹が立つ」人を、私が冷笑的に、皮肉な目線で見ていると思われているのだろうと推察する。ただ私としては、分析を進めるうちに、時代の必然としか思えないクイズ的な変化が起きているような気がしてきている。そんな状況を、批判的にでも冷笑的にでもなく、冷静に客観的に記述していきたいと考えている。


・だからといって、私がクイズに接するスタンスは全く変わりません。

 

・今回の話と全く関係ないが、一応付け加えておく。『山月記』は、李徴が「名声を得るため」という、詩人としてはあまりふさわしくない方向性の努力をしてしまったがために、単なる「上手な詩人」で終わってしまい、人々を感動させられなかった話として読むこともできる。詩人は本来、自らの生の意味を問い直したり、詩を詠まなければ自らが存立し続けることができなかったり、そういう「どうしても詩作せずにいられない」理由を持っているものである。李徴にはそれがなかった。だから心を揺さぶらなかったのである。私は、そういう話だと思っている。いろいろな読み方はあるだろうけどね。

 

・とかって余計なことを書くからダメなのだ。

アラほんとに現代的だわネ

・今日は珍しく短く。何か書かなければいけないような気がしてしまったので。

 

・すべての競技クイズがそうだというわけではないが、少なくとも一部の求道的な人々は、AIに近づくための努力をしているようである。膨大な問題を長時間にわたりインプットしまくり、いざ問題に対峙した際には高速アウトプットを行う。そのための訓練を日々繰り返す。問題分析も完璧に行った上で、である。

 

・ところが、研究が進んだことにより、一部「自らの研究成果に合わないクイズ問題は、悪問である」と批判する人が出てきたりする。研究成果に合わないクイズ問題の存在が、自らの努力を無にするから腹が立つのであろう。こういう腹の立て方って、非常に今風だと思う。クイズにひたむき、なのかもしれませんね、私なんかより。こういう腹の立て方をする人は、ウルトラクイズには出ない方が良いでしょう。

あそびならまだましよ 救われるから

・最近クイズから離れているが、クイズについてはそこそこ考えている。もっともクイズ研究者として身銭を切ることを身上とする私でも、8時間もの議論を聞くのは相当しんどいので、ここに記す感想はない。本になれば買うかも知れないけど。

 

・「クイズ王は本当にいなくなるのか」。少なくとも、いなくなったクイズ王はいますね。

 

・私は当然「クイズは所詮遊び」派であり、クイズは、自らの人生のごくごくほんの一部分にしか関わらないものだと思っている。だから勝っても負けても何処かで「たかがクイズじゃないか」とタカをくくっている自分がいる。「99人の壁」のときは交通費自前だから、取り返すためにマジにやったが、クイズってマジにやると全然楽しくない、ということを途中から実感した(あくまで勉強が楽しくないのであって、センターにいるときは楽しくて仕方なかった)。

 

・私は私でクイズについて考えるところあり、今までのような断片的な記述ではなく、ある程度まとまった形で発表できれば、と思っている。いつになるか分からんけど。とりあえず、今私が考えている方向性でクイズを捉え直してみると、色々な現象について読み解けるのではないか、と直感で感じている。例えば、何で高校生クイズは高校競技クイズ王決定戦でなければならないと主張されるのか、とか。

 

 

組合員をおだてた演壇で社員に訓示する

茂木健一郎氏の言説について、そもそも私は一向に要領を得たことがないので知らんぷりしていたが、あの温厚な上野先輩(兄)がここまでお怒りとは! 私も黙っているわけにはいかない(秋元さんが怒るのは普通なので)と思ったが、全然書くことが浮かばない。何が言いたいのか、よく分からないからである。要は「日本は民度が低いから、私には日本のテレビは合わない。イギリスの良質なコメディでしか楽しめないのさ」ということか。であれば、「ああそうですか」としか言いようがない。だって本人、論争する気ないでしょ。論争にならないような言説に終始しているわけだから。放っておくのが一番コタえるはずなので、無視すれば良いんじゃないかな。

 

・何度も書いているが、私も東大をことさら持ち上げるようなテレビ番組は、あまり好きではない。「東大にも色んな人がいる」的な方向ならありかな。そんな私の目線からすると、一番東大を特別視しているのは誰だと思うか、こりゃもう言わんでも分かるわね(「ようかん夫妻」より)。

 

・一応付け加えておくと、電波芸者であるとないとに関わらず、昔言っていた言葉と今言っている言葉の内容が違うことに対して、私はあまり気にならない。私はブレないことにそれほど価値を置かない。変化するのは当然だし別に良いと思う。ただ、昔考えていたことを無かったことにはしないほうが良いとも思う。

 

・パクリ問題に関しては、謎解きでご飯を食べている人が、自分たちの謎解きをパクられたと主張すること自体は正しい。それ以上でも以下でもない。「〇〇くん大好き」とか「〇〇王が無くなったら困る」とか、そういう感情は理解できなくもないが、問題作成にパクリが増える→どの番組でも似たような番組が出題される→クイズの粗製濫造に拍車がかかり→飽きられて→ほとんどの番組が倒れる・・・という過去幾たびも繰り返されてきた道をたどったとしたら、はたして、困るのは誰なのでしょう。その〇〇くんや〇〇王が好きな、あなたではないですか(右京さん風に)。

 

・余談ですが、私の予想は「田中健一の未来に残したい至高のクイズⅠ」の前振りだけで答えられた問題は色無し、前振りだけでは分からず最後まで見たら答えられた問題が灰色、思い出せなかったのが黄色、というもの。田中さんの問題は前振りを置くのがデフォルトなので、こういう記録はとりやすいかな、と思ったもので。

ロマンスの神様(開き直ったアーティストシリーズその1)

・「アタック25」、録画していたものを視聴。まあ、番組的には理想的な展開だったんじゃないでしょうか。

 

・ 私の感想は「こんなもんだよクイズなんて」。スイスの公用語の問題がネットを賑わしているが、ウルトラクイズでは「イタリア語」が答えだったわけで、まあそんなもんだよクイズ番組なんて、としか言いようがない。これを機に「アタック25は競技クイズの作法を無視しているので、我々は断固として出場しません!」という人が出てきたりして。なお、私見ではスイスの公用語からフランス語を聞く問題は、別にありかな、と思う。少なくともアタック25界隈では、「スイスの公用語は」「ロマンシュ語」と超早押しされるという認識は、ないだろうからね。

 

・つーことで、「ロマンシュ語」に限らず、クイズの神様のいたずらが、分かりやすい形で至るところに仕掛けられていた。他人事だと、こんなにも楽しい。

 

・私的な今回のポイントは、水滸伝の問題で「宋江」という答えがありうる段階で「108人」と答えたところ。ここに赤の方の老獪さが垣間見えたら見巧者と言えよう。今回の放送、赤の方に注目して見直すと、また違った面白さがある。非常によく我慢されていると感じ入った。

 

・「ユリイカ」の感想はいろいろあるが、時間がなくてなかなか書けない。「競技クイズ」について、クイズは競技に向かないとする徳久氏の考えには首肯する。私は「競技クイズの『競技』というネーミングは、目指す理念を表明したものに過ぎない」と考えている。もっとも、「クイズは競技的であるべきだ」という理念の具体的内容が人によって違ってくるから面倒くさいことになりやすい(理念とはそういうものだが)。

 

・ここでいう「理念」には、「(現実はそうではないけど)理想として提示するクイズについての考え方」というニュアンスを含む。例えば「オープン大会」の「オープン」も理念に過ぎない。「実力ナンバーワン決定戦」も然り。「史上最強のクイズ王決定戦」も理念。対して、「1億2000万人のクイズ王決定戦」は、理念とは言えないかな。むしろ「?のつくすべてのことがクイズになる」が理念ですね。

 

・「史上最強」は「理念を提示した初めてのクイズ大会」と言えるかも知れない。その意味でも現代クイズの祖であろう。競技クイズを含む現代クイズの多くは、理念を提示して共有するという手続きを踏んでいるからである。

 

・と、こういうことはもっと細かく分析しなければならないわけだが、とりあえず思いついたので書いておく。直感でしかないが。

究極のジャンル早押し通過クイズ(言い過ぎなタイトルシリーズその1)

この記事を見て、思い出したことがある。私も、この本は所有している。

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・元々は水谷さんの家で見たのだが、その後購入した。自主出版のため、なかなか流通していないようだが、この本以上に密度のあるクイズ本は、他にあまり見たことがない。平成5年発行だが、所謂クイズ屋の人の編集したクイズ本で、この本を越えているものはちょっと見たことがない。

 

・記事にもあるように、26人の方が1人1ジャンル、だいたい30~40問程度ずつ作成し、簡単な解説を施すというスタイルなので、問題の統一感に欠ける部分があるが、そんなことはマジでどうでもいい(統一感なんか、何ら重要ではない)。そもそも、問題の質はおしなべて高い。が、私が気に入っている一番の理由はそこではない。

 

・先に掲げた26人には、有名プレーヤー(カプセルクイズ経験者とか)もいるが、ほとんどはごく普通のクイズプレーヤーである。この「ごく普通のプレーヤー」たちが、1人1人別々のジャンルの問題を持ち寄るというスタイルが画期的なのである。

 

・自分が詳しいジャンルの問題を、必ずしも詳しくない人達にどう出題すれば面白い問題に仕上がるか。その料理の仕方を感じるのが面白い。文体が必ずしもこなれていない問題もあるが、ネタ選びがしっかりしているので、そんなに気にならない。何よりも、作っている人が楽しそうなのだ。そんなの分かるのかよ、と思う人もいるでしょ。分かりますよ、問題作成してれば。好きなジャンルの問題を作るのが、楽しくないわけないじゃん。

 

・ちゃんとした生活を送っているクイズ好きがある程度の人数集まったら、こういうアンソロジーを作るのは楽しいだろう。しつこいようだが、私もそれに倣い、大学のサークルの同学年の人達の問題を集めて冊子にした。殆どがクイズプレーヤーという自覚のないクイズ好き(クイズに強くなる気がさらさらない)集団だったから、今読んでもバラエティーに富んで面白い。

 

・「クイズの饗宴」を読むと、クイズ問題作成の初心者でも、自分の得意ジャンルの問題作成をすれば、割と簡単に問題作成のコツがつかめると思う。同じジャンルばかり作ってどうすんの、と思うなら、私みたいにHPで発表するとか、私はやらないが「みんはや」で出すとか、いくらでも成仏のさせ方はある。西岡くんが何処かで言及していた私の「ダウンタウンクイズ」、問題作りは最高に楽しかった。

 

・ということで、鶴君の「進学校100問」とか、秋元さんの「洋楽の脚韻100問」とか、クイズプレーヤー選りすぐりの「究極のジャンル別クイズ」を腹一杯味わいたいものである。