「クイズ史の独自研究」草稿以上完成未満

・本来であれば、小出しにするのは良くないのだが、いつ完成するか分からないので、暫定的に公開する。各章ごとにpdfで公開し、全て完成したら1つのpdfファイルにまとめる予定。

スマホだとクリックだけでpdfが開く模様。パソコンだと、ワンクリックだけではダウンロードできないようなので、こちらから開くのが良いと思います。

 

タイトル「クイズ史の独自研究

はじめに

第一章 クイズ番組の原型「話の泉」

・以下、完成次第アップしますが、いつになることやら。

プレスリリース

・「アタック25」が復活とのこと。私は、一度終わった番組が復活すると、碌なことが無いと思っている。また、「放送枠拡大」で面白くなった番組を寡聞にして知らない。クイズ屋的なプロが問題作成に加わることで、クイズマニアが安心して超早押しをするような「アタック25」になってしまうなら、そんな番組は見たくない。これら私の危惧が杞憂に終わり、「クイズの原点がそこにある」と言える、残酷で美しい「アタック25」が復活することを切に願っている。

俺とお前は まるでなつかしい友達さ(ドラマ主題歌シリーズその1)

フォークダンスDE成子坂特集視聴。確かに面白いし、成子坂のコントがテレビで見られるのは喜ばしいことだが、テレビ用のコントだったのが残念。成子坂のコントが、後の(つまり今の)コント師たちの演目にどれだけ影響を与えているのかを示すには、ライブビデオから珠玉のコントを2本くらい見せないと。

 

・とはいえ、悲劇のコンビという形ではなく、時代の最先端を駆け抜けて今も影響を与え続けている伝説のコンビ、という形で取り上げたのはよかった。「お笑い実力刃」って今後はこっちの路線でいくのだろうか。

 

・彼らが活躍した1990年代。この時代は、世間の訳知り顔をした人たちが、「新しい笑い」を「シュール」という言葉で括って説明した気になっていた。でも今回の番組ではそういうこじつけの説明ではなく、芸人さんたちが芸人さんの感覚で「成子坂の何処が面白いか」を教えてくれた。そして、その言葉のどれもが我々にとって分かりやすかった。成子坂のコントがもはや、現在のお笑いシーンにとっての「古典」となっているからに他ならない。

 

・意識されない形で後続の文化に幅広く溶け込んだものこそ「古典」と言える。物語の文体のみならず、少女漫画の成立にまで影響を与えている(と私は思っている)『源氏物語』は、やっぱり古典なのだ。ドラマ「俺たちは天使だ!」はコメディードラマの古典なのだ(なぜかこのドラマのことを最近思い出した)。成子坂のコントに既視感を覚えた若者が多かったと思いたい。見たことがないのに懐かしい気がするものってあるのよね。

 

・ところで、クイズの「古典」って何ですかね? 

狭義の競技クイズが教義にならないよう協議した

・「競技クイズ」は「自由」だとする記事が出た、ということらしいが、そもそもこの記事は競技クイズについて論じた文章ではないので、あまり話題にしなくても良いような気がする。それにしても、どうしてクイズと「勉強法」を結びつけるような文章がこんなに多いのかしら。結局「クイズ(的思考)って、日常生活にも役に立ちますよ」と言わないと食っていけない、ってことなのね。

 

・件の記事によると、「競技クイズ」と言いながら統一ルールがあるわけではなく、クイズ大会ごとに競技ルールを主催者が定めている、ということらしい。ここでいう競技ルールには、「クイズの進め方のルール」だけでなく、「問題作成上のルール」が含まれている。で、「競技クイズ」と呼ばれるクイズで出題される問題は、現状として概ね(主催者がその都度決めているわけではない)一定の「問題作成上の構文ルール」に沿って作ることが求められている。

 

・「早押し問題作成上の構文」は、どんどん統一される方向に進んでいる。で、この文法に合わない問題は、容赦なく批判されていく。たとえそれが「アタック25」のように、40年以上の伝統を持つクイズであったとしてもだ。

 

・私から見ると、この構文に沿って作るという明確な思想を持って作問したかどうか、が、「競技クイズ」と「非競技クイズ」を分けているように思う。どう強弁しても、イントロクイズはやっぱり「競技クイズ」と認めてもらえないだろうし、「昭和お笑い史競技クイズ」とか企画しても(しないけど)「そんなの競技クイズじゃない」と言う人は出るでしょう(これは「構文」に加え、「出題内容」にも「競技クイズ的かどうか」という物差しが共有されていることを表す)。つーか、これとかこれとかで「競技クイズが成立するか」を考えてみたらよろしい。ね、無理でしょ。

 

・こういう「物差し」は、「(競技)クイズ界」で緩やかに共有されていて、その共有を強める働きを「クイズ思考の解体」あたりが果たしているのだろう。まあ、そういうことはクイズの歴史ではくり返されていることなので、今は置いておく。

 

・「競技クイズ」に関する現代的問題の本質は、そういうことではない。Wikipedia「競技クイズ」の項に、競技クイズではないクイズの歴史が縷々記されているように、「全てのクイズは競技クイズに通ず」的な言説が増えることが、大問題なのである。

 

・「競技クイズこそが、クイズの正統を受け継ぎし者である」という人々の思い込みがある。この思い込みは、「競技クイズこそ、クイズの本質である」という意識を産む可能性がある。この思い込みを払拭するには、どうすればよいのだろうか。私は結局、伊沢本でもウィキの記述でも、書いてあることをいちいち疑ってみる姿勢を持ち続けるしかないと思っている。

 

・例えば「アップダウンクイズ」で早押しが導入されたことを「競技クイズの萌芽」と見る向きがある。そもそも、テレビ番組における「早押し」は、本当に「早押し能力」を測ろうとしていたのだろうか? テレビ番組制作者が演出上重視していたことは、そういう要素では無かったのではないか? とか。

 

こう言う記述を見つけた。この番組は視聴していないが、私のここの話については筆者もすでに意識しながら書いていたということだろう。どうしてみんな「全てのクイズは自分に通ず」って言いたいのかしら。そんなことで正統性を確保しなければ、自分のクイズに自信が持てないのだろうか。というのは、私の考えすぎか。

早押し(企画)は死んでもやらない(TQC先人の言葉その2)

・『クイズ思考の解体』、少し読んだ。第1章について。とりあえず一読しただけなので、意見はこのあとまた変わるかも。そうなったら許してください。

 

・私もここ1年以上クイズ史的なことをずっと考え続けてきたから、よくわかる。歴史を記述しようとする場合、そもそも記述者の中に「現在の状態は、どうしてそうなっているのか」「今後、どう進んでいくのか」等の解決したい課題があって、それを説明するヒントになるように記述していきたい、という思いを持つものだ。

 

・伊沢氏と私が違うのは、その解決したい課題の部分なのだろうと思った。伊沢氏は、歴史記述のゴールを「クイズ史の二周目が終わらないでいる要因としては、『東大王』の成功と『QuizKnock』の設立が大きい」とし、なぜこの2つがクイズ史の継続に貢献したのかを分析すべく、歴史を紐解こうとしている。氏の立場としては、当然だろう。

 

・私にも解決したい課題はあった。それは「なぜ現在のクイズマニアは、あれほどまでクイズに勤勉かつ厳格になれるのか」ということである。このページの熱心な読者(などいるのか?)ならお分かりの通り、私はクイズに勤勉でも厳格でもない。だから、本気で疑問なのである。ただ、クイズ史についてやや細かく考えているうちに、「かなり細かい点に至るまで、クイズの現象面に関する様々な疑問は、1995年までのクイズ史を分析することで、だいたい説明できる」ということに思い至った。ということで、自ずと書きぶりは違ってくるわけだ。もちろん、同じことを考えている部分も結構あるけどね。

 

・にしても、売れてるらしいのに、あまり感想を書き込んでいる人を見ない。私の検索能力が低いのか? 大枚はたいて購入したんだから、どんどん意見を書いた方が良いですよ。

 

・さて、今日の本題。このクイズには、私も参加している。たしか「アインシュタイン光電効果ノーベル賞を受賞したのは誰、とか、そんな問題)」と「アイロニー」を正解した記憶がある。説明するまでもないが、「アイロニー」は「藍」と「色(好きな色を獲得できる)」が入っているということ。「白」が入っているとマイナスなので、早押しクイズなのにいったん頭で答えを復唱してからでないとボタンを押せない企画である。このころから「早押し」を対象化して考えていたということでしょう。

 

・ビールの企画も多分参加したはず。なお、この出題の「田中」というのは、健一さん(9期)ではなく12期の田中さん。まあ、呼び捨てにしているからね。

クイズ!年の差なんて

・いやー、確かに分厚いねー。

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・ということで、パラパラ見てみたが、私が書こうとしている「クイズ史」的な内容とは、今のところほぼ重ならないようなので一安心。まあ、重ならないわな。

 

・まったくどうでもいいボツ問。「伊沢拓司氏が生まれた1994年5月16日、TQCでは例会が開かれていた。○か×か。」答えは省略。ちなみに、氏が生まれた時点で、私は既にTQCに所属していた。だから何だ、といわれても、別に何でも無いが、そんだけ年が離れているんだから、書こうとする内容が違うのも当然か。

 

・にしても、やっぱこの本高くない?