今でもまだそんなはずがないと思っている

・「昭和40年男」は立ち読みして面白そうなら買う程度だが、最近は買う頻度が上がっている。小林克也石川次郎に惹かれて結局買った最新号、アメリカ特集。なぜか「第13回ウルトラクイズ」の記事が。「なぜ?」と思ったら、チャンピオンが昭和40年男なんですね。つーことは私のちょうど10歳上と言うことか(だから「昭和50年男」はもちろん買った)。

 

・「アメリカ文化が日本にどう輸入されたか」という内容の記事群から、明らかに浮いているウルトラクイズ。それでも記事になっているということは、それだけウルトラクイズ話(特に第13回)に需要があるということなのでしょう。本当にあるのかいな?

 

・確かに、SNS上には第13回への愛を語るコメントがワンサカ存在する。特にボルティモアの準決勝が、「ポロロッカ!」と並んで名場面の呼び声が高いのも、知識として知っている。こういうのは好みの問題なので、「みんな分かりやすい名勝負が好きなんだなあ」くらいに私は考えているし、別にそのことに異を唱える気も無い(ちなみに、ワタシ的第13回ベスト勝負はシドニーの敗者復活である)。

 

・ただ、名場面を崇め過ぎることで、一種の思考ストップ(by立川談志)が起こってしまうような気がする。「なんでボルティモアは名場面なの?」に対する明確な答えを、私は見たことがない。とりあえず家にある本をあさったが、「だってハイレベルな早押しが延々続くんだもん」程度の理由以上のことを語っている人はいない。

 

・昭和54年日本シリーズ第7戦は、黙っていても名勝負だったとして人々の記憶に残ったとは思うが、その理由は「だって第7戦までもつれて、一打サヨナラのチャンスに江夏が云々」というような、表面的な内容に終始してしまった可能性が高い。「江夏の21球」という文章やテレビ番組が、選手への取材を重ね、野球の奥深い面白さを最大限引き出したことで、伝説の試合と言われるに至った。

 

ボルティモアは、そういう経緯を経ていないまま、何となく伝説化しているように思う。件の「小説」は「江夏の21球」になるか。取材したとしても、30年前の話だしなあ。

 

・もう少し江夏の話。勝負は佐々木恭介の打席で決まっていた、と思う。江夏の13球目、佐々木に投げた2球目、非常に打ちごろの球を放ってしまっている。そして佐々木はそれを見送っている。つまり、江夏のミス(だよね?)を、佐々木が活かせなかった(これもミス)。スクイズ外しばかりがクローズアップされやすいが、勝負が決まる瞬間というのは、ミスが決めていることが存外多いのではないかと思う。クイズもそういう観点から論じると面白いかも。

 

・いずれ、見巧者の評論を読んでみたい。そんな手間かかることを、クイズでやる人がいるか分からないけどね。あの雑誌ならできるんじゃない?

 

・見巧者の評論と言っても、かつてクイズ雑誌に掲載されたような「テレビに出るのにこの服装はいかがなものか」とか「ボードはすべてひらがなで書くのが昔からセオリーだ」程度の内容では、ちょっとね。クイズの面白さを伝えられるようなクイズ論者になりたいものよのう。