時を戻そう

・史上最強とウルトラ13回の関係性について、書いていなかったことがあるので、何となく書いてみよう。新年から長文でっせ。
 

・第13回ウルトラからややあって発売された長戸本では、氏がウルトラ攻略のために整理して実践した「早押し理論」が発表された。だが、私は昔からこのことに、相当な違和感を感じていた。が、今から書くことは検証が非常に面倒だったので、今まで述べないできた。仮説の段階だが、年頭に述べておきたい。

 

・その違和感は、「早押し理論に当てはまる問題が、ウルトラクイズではまれにしか出題されない」という事実から来ていた。問題のその後の展開を予想して超早押しをするような問題(長戸本で言う「純ストレート型」以外の問題)は、割に少なかった(第13回も実はそんなに多くない)。これは、昭和50年代にあった視聴者参加型クイズ番組の全体的な特徴とも言えるが、ウルトラクイズは特に「超早押し」を嫌う問題群が多いように思う(これはいつか書く)。長戸本的な言い方をすれば「純ストレート型」が相当な割合出題されている。で、純ストレート型の対策は、とにかく経験を積むしかない、と言っている。だから、〇×対策を除き、長戸本はあまりウルトラクイズの問題に対応していないと言ってしまって差し支えないと思う。

 

・では、長戸本はホントのところ、どういう受容のされ方をしたのか。ここに「史上最強」が絡んでくる。徹底した早押し対策が必要だったのは、むしろ「史上最強のクイズ王決定戦」の方だった。おそらく、「史上最強」の早押し対策として、その内容が重宝されたのではなかったか。当時、殆どのクイズ本が絶版になった時期でもあるし。

 

・つまり、長戸本は、ウルトラクイズ対策にではなく、「史上最強」対策にこそ、用いられたのではないか、という仮説である。特に中高生にとっては他に得がたい早押しの絶好の教科書だったわけだから当然だろう、と思うでしょう? ところが、話はそう単純ではない。

 

・長戸本の内容は「史上最強」に対応するものであったと言えるのか。実は初期の「史上最強」の早押し問題も、昭和50年代のクイズ番組のテイストが色濃かった。問題作成者がそういう番組(もっと言えば、日テレで行われた日本一決定戦等)のクイズ問題を「テレビクイズの理想」としており、解答者もそういう問題になれてきた人達だったわけだから、当然と言えば当然である。そこにはもちろん、道蔦本に著されているようなクイズ的な価値観・理想像が反映されているわけである。問題集を見て分かるとおり、第1回は所謂「純ストレート」の問題が多い(もっとも、早押し問題があまりないので、分析しにくいのだが)。で、先に述べたとおり、純ストレート型には特に対策がなく、経験を積むしかない。

 
・であったのだが、回を重ねるごとに長戸本にあるようなパターンにはまった問題群が増えている(ように感じる)。私はどうも「史上最強」の方が、長戸本(に代表される、当時の早押しの常識的な感覚)に問題を寄せていったのではないか、と思えてならないのである。道蔦氏が長戸本を参考にして問題を作るとは思えないので、結果的にそう見えるだけであって、実際は解答者の方を向いて問題を作っていた、と評した方が適切だと思うが、その解答者達が専ら長戸本の方を向いていただろうから、やっぱり「史上最強」が長戸本の方に近寄っていっているのである。


・とはいえ、長戸本を読み込む必要の無いベテランが、経験値だけでペーパー・予選の早押しを通過できるような状況は、しばらく続いていた(松尾さんも寺島さんもホントに強い)。これは昭和のクイズ番組的要素を残しつつ、最新の早押し理論を組み込んだ問題作成をしていたからだ。「史上最強」があれだけの人々を熱狂させて9回も大会を開催できたのは、ひとえにこのような「全方向を向いた問題作成」によるものと思う(異論の余地はありまくりだが、まあおおざっぱに言えばね)。

 
・最後まで「史上最強」は、そういう作り方をしていたと思う。だから、たまに最新の早押し理論より昭和風がちな問題が出て、解答者が混乱している場面もある。一例を挙げよう。

 

・第9回に「江戸は八百八町、大阪は八百八橋」というフリから、長束氏が「八百八島」と答えて不正解になったシーンがある(正解は松島)。現代風早押し理論なら、絶対に「八百八島」が正解になるところだが、そうならなかった。もちろん、厳密に言えば「八百八橋」のところでは、まだ答えが確定したとは言えない。確定していないところで押すのは、リスクを背負う行為だ、という昔からの価値観がそこにはある。クイズの「変化」にはいろいろあって、その中からどういう「変化」が(恣意的に)選ばれるかは分からない。そういうリスクも込みで「早押しクイズ」なのである。現代のクイズは、そういうリスクを回避するように問題作成することが多いようだが、昔はそうでもなかった。道蔦本では「変化」という概念を用いて説明しているが、どう「変化」するかを判断するのも結局は経験によるものだということで、(昭和のプレーヤーから見て)経験の浅い長束氏が間違ったことには、それなりの必然性があったのかもしれない。

 
・「変化」という概念は、クイズ分析の際に現在はあまり用いられない。すべての構造をパターン化しようとするのは人間の知覚の方向性として自然なことだと思うが、このことがクイズを狭めてしまう点については深く思いを致しておきたい。「変化」なんだから、要はどういう問題の展開でもいいはずなのだが、「変化」のパターンを列挙し(このことは別に問題ない)、それ以外のパターンを排除しようとする動きが無意識のうちに(無意識、っつーところがポイント)常識として共有されると、クイズは広がらない。

 
・「史上最強」はこのように、現代早押し理論の先駆けと言える部分を多分に含んでいたわけだが、そうでない部分もまた多分に含んでいた。このことこそが、後に「前振りクイズ」やabc的クイズを生みだす理由となっていたわけだが、その辺のことはまた今度(と言って、続きが書かれたためしがない)。ちょっとだけ書くと、「史上最強」の問題傾向のうち、Aという傾向を純粋培養したクイズ傾向、Bという傾向を純粋培養したクイズ傾向、・・・というように傾向が細分化されていって、それぞれの傾向で大量に問題作成が進み、それぞれの問題で大会が開催されるようになっていった、っつー流れですな。その方が気持ちよくクイズできる、っつーことでしょう。 


・別にコメントする気も無かったが、写真を晒されたことだし、放送でもチラッと映ったようなので、ひとことだけ。昭和お笑い史にたとえて言うと「M-1に三球・照代が出たようなもんだった」っつーところか。

 

・「M-1」にかこつけて、様々な「ネットニュース」(という名の個人の感想か宣伝)が散見される。M-1はもはや「漫才の研究発表会」になってしまったと思えばいいんじゃないか。そういえば、ウチの代のTQC会長は、「クイズ研究会なんだから、クイズを研究すべきだ」よって「オープン大会は研究発表会であるべきだ」と主張していた。まさかM-1がそうなるとは。