トッパライでチェージューって言ってたんだけど、ゲーマンでいいかな(名作「竜泉七変化」より)

・「クイズ界論」にしろ「クイズ論」にしろ、論じる対象は一般論としての「クイズ界」とか「クイズ」とかなのに、「それを好きな自分という人間」の存在が個別に否定されたと思ってしまっている人がいるような気がする。Twitter上での議論により、こういうことが(クイズに限らず)繰り返されているように見える。

 

・私がTwitterではなくブログという形をとっている理由の一つに、「ブログの方が一般論を述べているように見えるから」というのがある(もっとも、主因は「面倒くさいから」だが)。心地よい意見も胸くそ悪い意見も、Twitterの方が「自分に向けられた意見」と感じやすく、それだけ気持ちに刺さってしまうのではないか、と勝手な印象でそう思う。

 

・で、件のジャーゴンだが・・・ジャーゴンそのものは実はどうでもよくて、「このままだとクイズ界は一般と乖離してしまう」という危機感を持った人と、「今のクイズのまま一般を取り込むことはできるはずだ」という信念を持った人とが、ジャーゴンを象徴的なネタとして対立している、というところではないか。だから、一つ一つの用語法について個別論的に言い合っても、あまりクイズ的に得るものはないかと。

 

・第14回ウルトラクイズのレイクミシガンでは、事前に敗者予想の早押しクイズが行われたが、そこで「押し負けた」という言葉が使われていた。これもジャーゴンだよね。ほんのちょっとクイズをかじっただけの人が自然と使う、クイズのジャーゴンなんて、その程度のものよ。難解な概念を表す言葉なんかないもんね。

 

・「99人の壁」、会社経営者がやたら映りまくっていた。まあ、メンサの皮を被ったクイズ屋だから、そらそうだろ。小学生相手にムキになってブロックするなんて、何と大人げのないこと。と、他人事だとそう感じる。私もそう見られたのだろう。それが分かっててチャレンジしてきてるんだから、こっちも本気を出す。当然。だから、彼は非常に良い殺生をしたと、今度会ったら言うことにしよう。彼はウチのサークルの一員なのである。