Over endless plains, stumbling in cracked earth

・クイズというのは、世の中の雑多で統一しにくい事柄を相手にして、その都度問題を作成していくものである、と私は理解していた。統一しにくい中でも統一できたらすればいいし、しにくかったら無理してしなくてもいーじゃん、というのが私の立場である。

 

・「日本人ノーベル賞受賞者」が「日本国籍を有して日本にずっと暮らしている人」だけだった時代は、「日本人として〇人目のノーベル賞受賞者」とかいう表現を使ったクイズ問題が成立しうるが、アメリカに帰化した物理学者がノーベル賞を受賞した時点で、この表現は使いにくくなる。だったら、使わなければいーじゃん、というだけの話。クイズに都合のよい表現が使えなくなったからと言って、ことさら悲しむ必要は無い。新しいのを考えれば良い。

 

・それを、日本人ノーベル賞受賞者関連の問題は、今までせっかく出題しまくってベタ問題になったし、みんなで一生懸命覚えまくった苦労を無駄にしたくないし、などという程度の理由で無理矢理何とか出題しようとするのは、本末転倒ではないか。雑多な事実からピックアップして問題を作るのが本来の姿であって、今まで出題されていた問題がこれからも出題し続けられるようにすることがクイズ作成の目的であるはずがない。

 

・だから、この記事を読んだとき、ややびっくりした。「その荒れたクイズの知識の土地を整地するのが、めちゃくちゃ大変そうです。これはクイズ愛好家たちが一丸となって取り組まなければいけない課題だと思います」とある。クイズの知識が荒れたなら、荒れたなりに好き勝手問題を出題していけば良いのであって、わざわざ整地する必要は無い。荒れたことを嘆く必要も無い。別にコロナ禍でクイズを作れなくなったわけではない。おそらくここで言う「整地」とは、「これは今後も出題されうる」とか、「知識をこのような形で整理して覚えるとクイズに勝てる」とか、「ここで押すのが最適解だ」とか、そういう形で知識を整理し共有していくことを指していると思われる。現在のクイズのメインストリームは、そのように「クイズ愛好家たちが一丸となって」クイズの知識を整理して共有してできあがっているのであろう。

 

・クイズの「よく出る問題」の知識を、将棋の定跡と同じように考えるのなら、それでもよいかもしれない。ただ「何でもあり」も、クイズの醍醐味である。せっかく「定跡通りいかないような世界を作り得る」という可能性が大きく広がっているクイズの世界。整地しないまま果てしない荒野をよろめきながら進む人が、もっと増えてもいい。それをしないとどんどんクイズは先細りする伝統芸能のようになってしまうかもしれない。