「極私的全国民必聴歌」を作るきっかけ

 わたしは昔から「新婚さんいらっしゃい」という番組が大好きである。しかし、そのことを長いこと他人に話さずにいた。基本的に下世話な内容の番組だし、好きと発言するにはためらわれたのだと思う。同じように、わたしとしては高い評価を下したいと思うものでも、「こんなのを高く評価する変わり者はわたしくらいなもんだろう」などと考えることが多い。だから、自分が良いと思うものでも、あまり人には勧めない生活を送ってきた。

 そんなある日、某テレビ番組で藤子不二夫A(安孫子氏)が、好きなテレビ番組として「新婚さんいらっしゃい」を挙げていたのを見た。大変面白い番組だ、と褒めていた。衝撃だった。わたしも、「新婚さんいらっしゃい」の何処がすばらしいのか、少なく見積もって15分は語れる。なのに、自分が良いと思って惚れたものなのに、世間の目を気にして評価しないフリをすることは、たいへん恥ずかしいことなのだと思った。それから、わたしは「自分が良いと思ったものは、誰が何と言おうと評価する」と決めた。他人が褒めないものを褒めることは、勇気が要るが、絶対に必要なことだと思うのである。


 それに関連して、わたしの愛する文章の一説を、少し長いが引用しておく。筒井氏の、星新一氏に対する深い尊敬と愛情が感じられる名文である。

筒井康隆の『玄笑地帯』(新潮文庫)の中の「譫妄状態における麻雀」より引用

 おれもこの雑誌の映画ベスト・テンへのアンケートを求められたのだが、悩みに悩んだ末、ついにことわってしまったのである。というのは、おれの好みというのはたいへん片寄っていて、過去に定評を得たいわゆる名作映画というのは、おれのベスト・テンにはみごとと言ってよいほど入ってこない。喜劇映画がほとんどなのだ。それでもいいではないかと一方では思ったりもしたのだが、そんなものはどうせ集計の際、百位以下ということで切り捨てられてしまうのだ。労力が無駄となり、こっちは馬鹿と思われる。癪だからことわったのだ。ところが星新一が一位にあげたのはアニメーションであった。喜劇映画でさえ入れることをためらっている人間にとっては盲点でもあり、想像もしていなかったことだ。(中略)

 そうか。ベスト・テンのアンケートというのは実にこういうところにこそ価値があったのだ。そしてまた自己主張の場でもあったのだ。おれは「不思議の国のアリス」を見た数十年前のあの感動をまざまざと思い出した。あの感動をなぜ忘れてしまっていたのだろう。原作である「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」をすでに読んでいたおれは、あのすごい話と、クイズの如くまた迷路の如き文章がどうやって映像になり得るのか、出来るわけがないと思いつつ見に出かけ、その懸念をみごとにふっとばされた上、ほぼ原作通りの感動が得られたことによって涙さえ浮かべておったのではなかったか。それをなぜ忘れたのか。あきらかだ。大勢にまどわされたのだ。しかし星新一は忘れなかったし大勢にまどわされもしなかったのである。誰が何と言おうと自分だけはこの作品を評価するというこの毅然たる態度はどうであろう。またひとつ、おれは教えられたのである。大勢に迎合する人間を茶化したり罵ったりしておきながら、自分がまさにそうなりかけていた。いやはや。恥しいことであった。