国語の雑感・方言について

・少し前のこと。ある講演を聴いたら「方言を知らない若い教師が多くて困る。学校で生徒に方言を教えてもらわないと、生徒が方言に触れる機会がない。若い教師は正しい発音の方言がしゃべれない」とのこと。

・若い人々が方言を話せないのは、単純に「方言に触れる機会が相当少なくなっているから」である。それは若い人々の責任ではない。年配の方が方言をしゃべれるのは「方言の勉強をしたから」ではなく、「幼少の頃、周りにそういう言葉がたくさんあったから」に過ぎない。

・学校で方言を教えないことを責められるのも心外である。秋田県の方言は県北地区(鹿角・大館・能代で多少異なるが)・中央地区・県南地区(これも横手・大曲でやや異なる)で相当異なっている。教員も各地区の出身者が混ざっている。そんな状況で生徒に方言を教えることは不可能である。そもそも、方言は学校で教える性質のものではない。

・その講演者は「○○という方言は知っているか?」など執拗に参加者へ質問していた。知らない人が大勢だと「こういう状況だから困る」。ある地区のある方言の言葉を知らないと言うことで、何故にここまで批判されなければいけないのか。

・講演者曰く、「方言が共通語に比べ、下に見られている状況が気に入らない」。言語相対主義の持ち主かと思えば、「秋田の方言には、古語に由来する美しい言葉が多く残っていてすばらしい」とも発言。古語=中古京都の共通語に価値を見いだし、それが保存されているから美しい言葉である、という感覚は、言語相対主義からは遠い。つーか、古語に由来する言葉なんて何処の地域の言葉にも(共通語にさえも)残っていると思われるのだが。