極私的全国民必聴歌 なごり雪(伊勢正三バージョン)

・出張で車を走らせている間、たまたまCDに入れていた伊勢正三なごり雪」を聴いたら、何となく歌詞の意味が分からなくなり、何度か繰り返しているうちに、1つの解釈が思いついたので書いておく。
 
・優れた歌・残る歌というのは、様々な解釈が可能である。自分がその時点で一番良いと思った解釈を、各自が勝手にできるからである。もっと言えば、よく分かんなくても、何となくいいものはいいのである。
 
・だから、この歌の2人の関係がどのようなものであるか詮索する向きもあるが、無粋な説明は必要ない(どうしても詮索するなら、「22才の別れ」とリンクさせるのがよい)。ただ、こう読むことで作品をもっと楽しめる、と言う読みなら、提示する価値があると思う。
 
・彼女がきれいになったのは、春(多分他の人との結婚)が来たからで、彼は少女のままの彼女が好きで・・・云々、というような話は、よくある少女が大人になっていくときの取り残された感の話なので省略。「大人になると気づかない」のは、当然「彼女が大人になるという当たり前のことに男が気付いていない」ととる。「取り残された感」を歌っているのは、もちろん間違いない。 それはみんなが指摘していることなので、私はもう少し違う角度から読みを提示してみる。
 
・一番、女は汽車を待つ。女が汽車を待つことに、男が気付いているわけだから、女の視線や動きが汽車の来る方を向いていると考えるのが自然だ。将来に自分の気持ちが向いていることを、暗に示している表現だ。
 
・それに対し、男は時計を見ている。このことには、別れの時間が迫ることを気にしていることに加え、もう一つ重要な情報がこめられている。それについて後述する。
 
・二番。男は下を向いた。
 
・問題は三番である。「落ちてはとける雪を見ていた」を読み間違えやすい。彼の視線は、何処にあるのか。線路をはるばる見渡すイメージを持ってはいけない。雪が溶けるのは地面である。そう、彼はここでも下を向いているのである。だから、多分一番の「時計を気にしてる」も、腕時計だと思う。駅の時計だと、視線が下向きにならないので。実は彼、歌の表現上はずっと下の方を見ているのである。
 
・普通なら彼女が去った線路方向を見れば良さそうなものだが、そうしていない。たぶん彼は、彼女の将来のことを、あまり案じていない。彼女は自分の今後を思っているが、彼は、取り残された自分のことしか考えていない。将来の自分のことを考える彼女との対比は鮮やかである。
 
・「君のくちびるがさようならと動くことがこわ」かったとしても、そこで彼女にやさしい言葉をかけなさいよ、とおじさんは思う。お前が偉そうなこと言うな、と言われそうだが。それはともかく、ここに来てまだ「さようならがこわい」と考えてしまうところに、成り行きに任せながら失いたくないものを失う、男の弱さが感じられてしまう。
 
・下を向いているということは、彼女を見ていないと言うことにもなる。なら、なんで「君はきれいになった」と言えるのか。きれいになったからこそ、見られなくなった、ということか。いや、この部分は「きれい」という言葉にこそ刺さるべきではないのか。「美しい」でもいいはずなのに、なんで「きれい」なのか。必ずしも視覚的な美について述べているわけではない、という可能性がある。振る舞いとか、言葉遣いとか、様々な要素をひっくるめて「きれい」としているのではないか。いつまでも彼女との過去に拘泥し、変われないでいる自分と比較している可能性もある。
 
・この歌は彼女が去っていった直後のところで終わっているから、その後男がどういうことを感じたかまで想像していくと、読みとりは面白くなりそう。
 
・なお、よく問題になる「ふざけすぎた季節」は、将来のことは考えず(結婚などは意識せず、と言うことか)二人でいた時期のことを指すと思う。「東京で見る雪はこれが最後ね」→雪を見て楽しんだ思い出があるから、こんなことをわざわざ言っている。そう解釈すれば、雪が二人の楽しかった(ふざけすぎた季節の)思い出の象徴だと考えられる。別れが来るのが「なごり雪」が降るときを知る、につながる。
 
・やっぱり無粋ですな。とにかく、文句なしの名曲であり、「世間で名曲とされている曲を書かない」という禁を破って紹介してしまう。