巨泉のクイズダービーについて

・「問題 文久3年、マルセイユに着いたヨーロッパ訪問使節が、ホテルでまず通された部屋があまりにせまいので怒り出したそうです。そのホテルのせまい部屋とは、一体どこだったのでしょう。」について。

・まあ、多少クイズ慣れ(競技クイズ慣れ、ではない)している人間にとって、この手の問題の答えは「トイレ」に落ち着くことが多い。が、よく考えてみよう。

・ヨーロッパ訪問使節がまず通された部屋が、トイレというのでは無理がある。黙っていても自動的に通されるようなところでなければ、答えとして腑に落ちない。となれば、舞台がホテルである以上、答えはあそこしかない。

・で、正解は「エレベーター」ということになる。この問題に顕著に見られるとおり、クイズダービーの問題は、自然な日本語として完成された問題文に、考えるための道筋を示す語がそれとなく埋め込まれている。

・が、それだけではなく、答えを聞いてリアクションを起こしやすい問題にもなっている。この問題、「文久3年(=1863年)」という言葉がなければ、ここまで面白い問題には仕上がらない。この時代に既にエレベーターがあったという意外性がポイントなのである。

・こういう問題群は、問題作りの上手い人達に、無尽蔵に問題を作らせて、惜しげも無く絞りまくることでしか、作れない。一流の放送作家を集めて作ったという大橋巨泉の自負は、生前しばしば耳にした。その言に恥じない問題群が、おびただしく遺された、というオハナシである。

・ちなみに、このときの使節団は第2回遣欧使節と言われるもので、福沢諭吉が参加した使節とは違う。詳しくはこの辺を。どうやら問題文は文久4年の間違いのようですが。