欽ちゃんのどこまでやるの?

高校生クイズについての記事を書いていると、「なんで私はたかがバラエティー番組に対し、こんなにムキになって意見を言おうとしているのだろうか」と、壮絶なむなしさに襲われることが多々ある。なのに、何故書くのか。

・そんなことをぼーっと考えているうちに、高校生クイズで起こっていることは、実は今のクイズ屋界隈で起きていることと、まさに合わせ鏡になっているからなのだと気付いた。

・21世紀枠とやらは、クイズ日本一決定戦によくある「招待選手(=スタッフの知り合い)」みたいなもんだろう。クイズ王決定戦なんだから、恣意的に出場者を選んで何が悪い、くらいに思ってるんじゃないか。でもさ、いくら清宮くんが強いからと言って、今年の早稲田実業を書類審査で甲子園に出場させたら、誰だって文句言うでしょ。

・前回の記事で書いたから詳しくは繰り返さないが、一部の人間による一定の条件を満たしたクイズ問題を「定番問題」として覚えまくることでしかクイズで活躍できない、という構造を加速化する働きを、高校生クイズさえもが担ってしまっている。しかも高校生クイズの場合、難問を覚えると地上波で活躍できる唯一の番組なんだから、なおさらタチが悪い。

・勝ち抜けたごく少数の人以外の参加者を全く無視する構造なのも、昨今のクイズイベント(つーか、昔からオープン大会はすべてそうだった)と同じですね。そうした人をなんとか楽しませるために「見せるクイズ」を発展させた挙げ句、参加者がどんどん逃げてしまっているのも、全く同じですね。

・そうやって探していくともっと見つかるような気がする。ぼくの勘やけど。

・書き忘れたことを。「AIが出題」とか銘打って、恥ずかしくないのだろうか。

・私が愛した高校生クイズは福留時代だけであるが、それを今復活してほしいなどとは毛頭思っていない。ウルトラクイズも復活してほしくない。今の時代に、そぐわないと思うからだ。

・だいいち、今と30年前では、参加しようとする高校生の桁が2つは違う。今年の高校生クイズ、秋田の生徒が仙台の予選に参加するために、秋田駅から無料バスが仙台まで出ている。そのチラシがウチの高校にも全クラス分送られてきたので、一応私も教室に貼った。たぶん、誰も予選行ってないけど(東北大オープンキャンパスと同日だったという事情もある)。昔は自費で仙台やら福島やら(第8回のみ)田沢湖やら(第10回のみ)に行ったのだ。それでも東北大会に6000人とか集まったのだ。

・ちなみに言えば、私の勤務校は昨年21世紀枠で全国大会に出場している。その学校内ですら、高校生クイズの話題はほとんど聞かない。ポスターも貼ってあるのに。

・番組を福留時代のように戻せとか、福澤時代のように戻せとか、頭脳王的な感じに戻せとか、そういう議論がかまびすしい。私は、たとえ私が理想とする福留時代に戻したところで、そんなに数字は取れないと思う。

・今のバラエティーは、無茶をしなくなって、とか、お色気を一掃して、とか、まあそんなこんなで規制が厳しくなり、つまらなくなった、という人がいる。私は全然的を射てないと思う。これだけネットでエロ画像やら動画が見られる時代に、テレビでちょっとお色気シーンを流したからと言って、男たちが垂涎のまなざしで見ると思うのだろうか。時代とは、そういうもんだ。その時代に合っている番組しか、面白くないのだ。

・加えて、みんなテレビの「からくり」が透けて見える時代になってしまった。と同時に、「素人の時代」は終わった。萩本欽一と素人のやりとりではなく、コント55号のようなプロによるドキュメント性を、時代は求めるようになった。それまで素人がしていたことを、テレビの中でプロがやるようになった(素人はつまんない、ということについてはここで書いてます)。

・だから、私はすでに2001年の時点で、この番組は打ち切っていいものだと思っていた(参考)。決して感情的な理由ではない。

・また長くなってしまった。反省。「クイズ日本一決定戦はもう時代遅れだ」を続けて書く予定なのだが。