クイズの勉強というものを、ちょっとやってきたものですから

・諸事情あって、「クイズに出そうなネタ」を気にして生きる日々が続いている。疲れる。覚えなければ、と言う思いを持って物事に接したことがほとんどないから。クイズ問題にできそうなネタ、を気にしていることはしょっちゅうなのに、「出そうなネタ」を気にして生きてきたことがいままでほとんどない。

前にも書いたが、私にとって「クイズの問題集」は「作品集」である(にしても「攻撃すべきは、あの者たちの神だ」とばかりに批判全開の文章だのう。若い若い)。だから私にとって、他人の問題集を読むのも、小説を読むのも、句集を読むのも、全然変わらない。だから、「問題集の問題を覚える」という勉強法を、基本的にしたことがない。「基本的に」というのは、高校くらいの時、一時期やりかけたことを指す。残念ながら私は記憶力がない方(=頭脳王に出ない方)の東大生なので、無理だと悟り、やめてしまった。別に覚えなくても、当時はそこそこ答えられたし。

・「クイズの問題集」=「作品集」なので、問題から個性がにじみ出ることを良しとする気持ちはこのころと変わらない。ただ、ここまで問題が量産されてしまうと、「自分しか作らないような問題」を「狙って」作ることがかなり難しくなっているのも感じる。それは「ネタそのもの」という意味でも「ネタの料理法」という意味でも。

・それだけ、クイズ問題作者が増え、問題のバリエーションも増え、いろいろなパターンを面白がってくれる素地ができた、ということかもしれない(一方でコアなところはどんどんコアになっている)。最近だと、ヘレン=ケラーが来日したときの映像を問題として出題できる準備をしていたら、「東大王」で出たことを知り非常にガッカリした。

・ではこの時代、クイズ作者の「個性」をいかにして出せば良いかという話になるのだが、私の答えは「多くの問題を提示していれば、そのうち個性っぽいものを世間が感じ取るはずだ」というものである。だから、「マンオブ対策問題」などという、別に私が作らなくてもいい問題群でも、遠慮なく発表してしまっているのだ。

・つーことで、やっぱクイズ問題をタダで掲載しているHP最高!と自画自賛したくなるのだった。