「嚙まれたら死ぬんや」「死ねへん!」

・去る8月8日、朝6時から地元のテニスコートに行くと(私がテニスをするわけでは無いが)、たくさんのおじいさんたちが、ひたすらテニスに興じていた。私は2時間ほどそのコートにいたが、おじいさんたちは小休止を入れながらゲーム形式(たいていダブルス)でずーっと楽しくテニスっていた。

・誰が一番強いかなど全然関係なく、なるべくラリーを続けて、ひとつひとつのプレーで盛り上がっている。いいプレーをしようという意識だけで、勝ち負けは二の次という感じなのだ(そんなこと言って、実は陰でにぎりしてたりして)。実にすがすがしい。

・おじいさんたちのテニスは、知り合い同士で相手の弱点も知り尽くした上でラリーを楽しむ、いわば「甘噛み」のようなテニスである。テニスには「甘噛み」ではない、本気の殺し合いのような一面もある。インターハイで、嫌と言うほどそういう試合ばかりを見せつけられてきた。

・さて、クイズはどうだろうか。実はクイズはすべてが「甘噛み」なんじゃないか?と思う今日この頃。ここからやや荒っぽい展開ですが。

・私はクイズにおいて、割にサークル活動というものを重視する。もちろん、そこに排他的な雰囲気が醸成されやすいことは認めているし、そのことがクイズの「普及」にプラスにならないかもしれないということも、充分理解しているつもりである。

・ただ、クイズの楽しさは「目の前の人間に対して、問題を作って出題する」というところにこそあると感じている。日常的にその行為を行うためには、どうしても身近な知り合いとクイズに興じる環境が必要である。そのために、はゆるーいサークルが理想的な環境となる。私が所属したサークルは、ともにゆるーいサークルである。私がふざけた出題をしても、だーれも怒らない(とりあえず表面的には)。

・解答者が何人いようと、クイズの基本構造は「出題者vs解答者」だと思う。これを「解答者vs解答者」にしようとして、様々な目に見えない複雑なルールを作ろうとしているのが「競技クイズ」だと思うが、そのことはともかくとして閑話休題

・ところが、出題者は解答者を本気で殺そうとして問題を作るわけが無い。そんなことをしたらクイズが成立しない。「カドリエンナーレ」とか「バチカン市国ですよこれは」のような例外はあるにせよ、まあそれなりに正解が出るように問題は作っていくしか無い。これを指して私は「甘噛み」と呼びたいのである。今後は「甘噛みとしてのクイズ」という観点が、案外クイズの「普及」に役立ってくるような気がしたので、急いでこの稿を書いておいた。

・別に競技クイズを否定するわけでは無いのだが、「クイズ王」を目指すクイズばかりがクローズアップされる状況は(ファミリー劇場なんかは完全にそうですね)、クイズにとって実は不自然な状況なのではないか? だから私は、「Qさま!」より「ミラクル9」を思想的には推したい(どっちも見てませんが)。なんかワチャワチャ楽しい雰囲気のクイズが、もっともっとクローズアップされてほしい。昔のクイズ番組ってみんなそうだったじゃん。所詮クイズなんか遊びでありゲームなんだから。たかがクイズじゃないか。もっと軽い気持ちでやりましょ。「青筋立てて答えてる姿なんか昼間から見たくないでしょ」とはアタック25のスタッフの言。