何となく自分だけ意地をはり通して さからってみたくなる時があるよね

・特定のクイズ者を批判するのが目的では無い、と先に断ってから、普段思っていることを書いてみる。今日のお話は「有名プレーヤーの言うことも、疑ってみよう」。

・私も「クイズはスポーツだ」という考え方には同意できない。この考え方は、完全に解答者という立場しか意識していないからだ。スポーツには「監督」がいて(いなくてもいいが)、「選手」がいて、「審判」がいる。クイズで言う「問題作成者」に当たる存在が、介在しない。この差は非常に大きい。解答者としてのみ生きていくというのなら、この言はなんぼか当たっているかもしれない。でも、そんなクイズ者を増やしても仕方がない。クイズにスポーツ的要素があることは認めるが、んなこと言ったら吹奏楽にだって受験にだって経理にだって、スポーツ的要素はあるわけで、何でも安易にスポーツに喩えることで、見失ってしまうことも多いよね。

・このフレーズはクイズの中心にある「問題作成者と解答者の、共同作業としての遊び」という要素を見失わせるような気がするのだ。「クイズとスポーツは別物だ」、というか、「クイズはクイズであり、クイズでしかない」。それでいーじゃん。むしろクイズと他の「競技」の違いを明らかにしようと言いたい。

・加えて言うと、クイズをスポーツ視することで、そこに「コーチング」とか「熱血指導」とかが強力に入り込んでくる可能性がある。繰り返すが、クイズを中高生に指導しようとする大人の動向に私は敏感なのだ。また、「熱血指導」の結果、問題作成にも指導が入り、「問題作成者」の自由度を失わせるのは一番気にくわない(そうされたこともしたこともありませんがね)。

・別件。「クイズ初心者のうちは、問題作成をしない方が良い」という考え方にも同意できない。自分の見聞きしたものや知っていることをどんどん問題にしてみた方が良いですよ、と言いたい。

・確かに、自分の文体が独特なものであった場合、問題作成を重ねることが解答者としての力(っつっても早押しの力だけだと思うが)を落としてしまう可能性はある。「早押しの約束事」とかいうものに合わないような文体で作るタイプの人は、ボタンを押すのが遅くなる傾向があろう(私がそうだ)。だからこの戒めも、解答者としてだけクイズをするなら全くもって正しい。

・ただ、クイズ界(というものがあるならば)は「問題を作って出題する」という生産者意識こそ育むべきであり、「人が出してくれた問題を解答する」という消費者意識だけを育んではいけないと思う。問題を作る人が増えた方が、世に出回るクイズ問題が様々な方向性に広がって行くではないか。私は色々な人が作る、色々な問題を味わいたいし、それら問題の中に自分の問題を含めていきたいと強く思う。

・まあ、単純な話、解答者としてより作成者としての立場の方が楽しい、という人は一定数いると思うから、そういう人はそんなフレーズがあっても問題は作りまくるわな。私がそうだったから。気にせず作ることよ。

・また、作成者としての腕前は、初心者のうちから問題を作った人の方が上がる・・・かどうかは、実証的な研究をしていないのでよく分からない。でも、初心者の方が自分の個性を丸出しにした問題を遠慮なく作れる(かな?)と思う。それをサークルなどで出題し、反応を見ながら修正を加え、自分の個性を活かした独自の世界を完成させるのがよいと思う。

・今の時代、あまり既成のクイズ問題の文体に慣れない方がよいのではないか。昔ならテレビ番組の雑多な問題集がお手本だったが、今は問題の統一感に気を遣って規格化された大会の問題集が「お手本」になるんでしょ。そういう文体を体にしみこませると、そういう文体でしか作れなくなるかもしれない。これはその人のためにならない(「abc」などの文体については、いずれ論じることになるでしょう)。

・追伸。前回「ミラクル9」を評価する、的な文章を書いたが、実際は「99人の壁」を見ると思う。私はね。