GOOD-BYE青春

・前回の記事、多少(つーかほんの少し)直しました。私の勘違いしていた点について。

・最近論じてみたいと思っていろいろ資料集めだの何だのをして、準備していたテーマが「なぜ90年代にクイズは『難化』できたのか」。「なぜ難化したのか」の答えは割と論じ尽くされている。しかし、本当に解き明かすべきは「難化してもクイズがゲームとして成立できた(=みんなが問題に正解できた)のは何故だったのか」という点である。

・これを考えるには、「クイズになりやすい題材はどのように選ばれてしまうのか」「難化の方向性はどう選ばれるか」「出題者と解答者の距離はどう近づいたか」など、様々なテーマをコツコツ解き明かす必要がある(たぶん)。

・書こうとしているネタをちょっとバラす。例えば「アラビア語で『川の果て』という意味を持つ名前である、エリダヌス座のアルファ星は何?」という(別に面白くもないが)問題を目にすると、「アラビア語で『つめ』を意味する蟹座の云々」とか「アラビア語で『馬のへそ』」とか「アラビア語で『従うもの』」とか、そういう問題を山ほど作る人がきっといるだろう。

・そういう例はゴマンとある。なのに、例えば「ドラマ『ママはアイドル』の主題歌で」とか「ドラマ『家族ゲーム』の主題歌で」などという問題がおびただしく作られた、という話は聞いたことがない(いくらでも作れまっせ)。この違いは何処から来るのか。そのヒントは多分「史上最強」と「FNS」にあると思っている。

・私は、現在の難問風クイズの原点は、とりあえず「史上最強」にあると考えている(「史上最強」にもさらに先達はいるが、とりあえず措いておく)。単純化して言えば、現在の難問が選んでしまう題材は、「史上最強」に出そうで、「FNS」に出なそうなもの、と言ってしまえるように思う。

・とか何とか書こうと思って準備してたら、諸事情でどうでもいいテーマ(前々回の記事)の長文を書いてしまい、少し放っておいた。そしたら、こんな記事が出た。なるほど、そうであったか(予想通りだけど)。カプセルクイズなんかは、ここにあるように「(水津・西村という)二人のストライクゾーン」を狙っていたわけだ。

・片や読書から知識を得る博学の方、片や百科事典を読んでいった方、そこを狙う問題が、現在の難問クイズの原点だとすれば、ほとんどすべて合点がいく。いいのか、そんなので合点がいっても。単純すぎないか?

・そう考えて、次の水津翁の語を読んでみる。曰く、「クイズを青春にした『諸悪の根源』は、私と西村なのかな」。もちろん、二人は出場者で、何ら責任は無いわけだが、このセリフは結構含蓄がある。まあ、「史上最強」関係者の道蔦氏との会話だからかもしれないが、ここに当時ウルトラクイズで中高生の憧れとなった(のか?)長戸氏の名前が出てこないのが面白い。

・大げさに言えば、ここに翁のクイズ的歴史認識がはっきり表れていると見るべきだろう。クイズが先鋭化し、競技化し、青春や、果ては人生をかけるほどのものになってしまった原点は、「史上最強」の自分たちの戦いぶりにある、と考えているのではないか。翁の見立てでは、第13回ウルトラはその後のクイズ史に影響を与えなかったのだ。先に私が述べた、「クイズになりやすい題材はどのように選ばれてしまうのか」「難化の方向性はどう選ばれるか」「出題者と解答者の距離はどう近づいたか」という物差しを持ってくれば、そのことは理解されよう(なお、私はウルトラクイズを、クイズをマジな感動的なものにした「諸悪の根源」だと思っている)。

・もうひとつ。表舞台に出ない水津翁が出てきたのは、今こそここにある内容を語りたかったからでは無いか。クイズが人生の役に立ったことはない、所詮クイズはクイズ、遊びなんですよ。翁はクイズと言うものが世の中に存在しなくても、同じようなことをしていた人なのだろう。そういうところが、私も目指すところなのです。今クイズが無くなっても、私も全く困りません。私はどうも人生にクイズの占める割合が、世間のクイズプレーヤーより極端に低いようだ。

・でもどうして世間の人は「クイズは役に立つ」って言いたいんでしょうか? クイズに勝つために、したくない努力を苦労してやっているからでしょうか? だいたい、趣味人に「あなたの趣味は役に立ちますか」と質問すること自体、心得違いではないかと思うのだが。

・さ、これでクイズ論さんも無言ではいないでしょ。たぶんだけど。

・あー、また長くなってしまった。