ジャーナリズムのかけらもないものを一つあげなさい。

・明日(つーか今日)から修学旅行でしばらくネットから離れます。因みに私はスマホを持っていません。

・さて、昨日の内容について反響(?)があったので、もう少し付言しておきたい。まずはここについて。

・私の前回の記事では、ウルトラ13回はその後のクイズ史に影響を与えなかった、と結論づけているが、「史上最強」と相まって、クイズブームを起こすのには当然多大な影響を与えている。中高生がクイズを始めるきっかけになったのは、間違いなかろう。ただ、「クイズ」としては影響を与えていない。特に「クイズ問題の作り方」という影響はほぼ皆無だ。だってウルトラクイズみたいな問題作っている人って今いるの?

・秋元さんの言う「増幅効果」について分析する材料を、私は持っていない。なぜなら秋田では「史上最強」は放送されていないので。ウルトラの第13回と「史上最強」が同時的に、多感な中学2年の私に入ってきていたら、どういう影響を与えていただろうか? 全く想像が付かない。

・昨日の記事を読んで、「QUIZ JAPAN 第7号」収載の、斉藤喜徳氏の寄稿と内容が似ていると思った方がいるかもしれない。似ていると言えば似ているが、決定的に違う点もある。

・斉藤氏は、「「史上最強」はそれまでの視聴者参加型クイズ番組がたどり着いた最終形態であり、(中略)オープン大会のプロトタイプでもあった」と述べる。基本認識は、私も同じである。ただ、私はカプセルクイズにおける
2人のクイズ王のパーソナリティ(得意分野とか)が、現在のクイズに決定的な影響を与えてしまったと考えているのに対し、斉藤氏がまず注目するのはナナマルサンバツというルールであった(カプセルクイズは難易度のたがを外したという程度の認識)。

ナナマルサンバツは早稲田のルール(早稲ルーというそうだ)3○2×が、西村氏や斉藤氏により大木塾に持ち込まれ、5○2×などにアレンジされ、そこから史上最強に7○3×として投入されたという流れを斉藤氏は想定している。事の真偽は道蔦氏に聞けば一発で分かる話だが、それはどうでもいい。私がこの記事に感じたのは、「競技大会の源流であるオープン大会の源流である史上最強のルール『7○3×』の元祖は俺たちだぞ」という主張である(ただ、7○3×というルールが後のクイズにどういう影響を与えているのかには触れられていない)。

・で、このルールは「誤答できない早押し」が求められる。「解答権さえ取ればいい」という汚い戦い方を防ぐ、良いルールだということをややセンチメンタルな(何故か恋愛に喩えたり)表現で強調する。この辺がやや説得力に欠ける論ではあるが、言いたいのは「7○3×のような形式が、正統なルールだ」ということだろう。そうではない「速押し」の技術ばかり学ぶと「本来クイズに必要とされる知性や教養、品位などを身につけ、磨き上げることが疎かに」なってしまうということだ。「本来クイズに必要とされる」という所に、自らの主張の正統性を自負していることを感じさせる。

・持って回った言い方になったが、総合して私が感じたのは、斉藤氏がおそらく、自分(たち)を「競技クイズ的なクイズの正統をレジェンドたちと作り出し、それを受け継ぎ、そしてそれを普及する者」と位置づけたいのだろうということだ。ただし、斉藤氏は「正統」という語を使っていないし、そんなこと考えていない、と反論するかも知れない。しかし、「正しいクイズのあり方」を想定して語っているだろうことは、想像しても想像しすぎではないだろう。もし氏がクイズの正統を継ぐ者であれば、日本クイズ協会の正統性もそこから明らかになる、という寸法である。

・歴史を語る者は、自らの正統性を語るために歴史を語る。それはありふれたことであり、別にとがめる気は無い。ただ、(斉藤氏がそうだと言うわけではないが)歴史を語る者が、意図するかしないかを問わず、歴史を修正してしまうことがあるのもまたありふれたことである。クイズ研究者として、クイズ的な歴史認識の正否を弁別する材料を皆さんに提供するため、私は今後も独自に分析を続けていく。

・あーまたつい長く書いちゃった。ジャーナリズムのかけらもない話ですいません。