たかが Rock'n Roll されど Rock'n Roll

・論争(風の何か)に巻き込まれるのが面倒くさいので、こういうタイプの記事にコメントをあまりしなかったのだが、行きがかり上ちょっとだけ。

・まあ、私なら問題にしようとすら思わないネタですね。理由はだいたい次のような感じ。

・理由1。どう転んでも(転ばしても)、クイズのために高城氏の名前や写真をチェックした人が圧倒的に有利な問題しか作れそうに無いから。故に「高城靖雄と言う歌手がCMで最後に熱唱する六文字の商品名は何?」も、私なら作らないかな。逆に超早押し勝負になる可能性が高い。百歩譲って、最後の部分を「熱唱する言葉は何・何・何・何・何・何?(あのメロディーで言う)」くらいなら作るかも知れない。いや、作らないか。

・理由2。どうせみんなが作りそうな問題だと分かっている問題を、わざわざ作る趣味は無いから。または、そういう問題を出題するのが、こっぱずかしいから。

・理由3。「ネットなどでみんなが一斉に知り得るような情報」は、クイズにしたくないから。

・このうち、「理由1」は私のクイズ上の価値観や信条に由来するもので、たとえばここに書いてあることと同じ発想。「理由2・3」は、みんなと同じことを同時にするのが嫌だという私の性格に起因している。みんながチェックするような問題を作り、早押しかなんかで出題し、ポイント(=この場合は高城氏のお名前)で押してもらい、正解した人は事前にチェックしていたことを喜ぶ、作成者も自分の作題能力が高いと自認する、クイズって楽しいなあ、どんどんクイズに強くなっているなあ私は、お互いよかったね。そういう流れに与する気は全くない。

・「書き出しだけをクイズのために覚えることを誇る人達」という話もあった。そういう人が周りにいないので何とも言えないが、世間には「あらすじだけでその本の内容を知る。教養を身につけたいビジネスマンにうってつけ!」的な本が山ほど出ている時代だから、そんな人達がいっぱいいても当然だよね。そういうのが嫌なら、そういう人には正解できない問題を出せばいいだけのこと(鶴君と同意見)。例えば最新の芥川賞受賞作を大会のために覚える人は、みんなその作品を読んでるわけじゃないでしょ。

・考えてみれば、問題集を読み込んで勉強している人達がやっていることは、「書き出しをクイズのために覚える」のと何ら変わりが無い。そうやって正解したことを誇らしげにツイートする人達も多いようだ。なぜ読書についてだけ目くじらを立てるのか、よくわからない。

・私なんかからすれば、逆に「この知識はクイズじゃ無いところで覚えたのだ」ということを、やたらと誇っている人に違和感を感じる。いや、普通の会話なら別にいいんですけど、度を超してそればっかりとりわけ強調したがる人って、なんか自慢気なんだよなあ。別にクイズに正解することも、クイズに強いことも、決して自慢するようなことじゃないのに。

・クイズというのは、出題された内容に関する経験が無くても正解できることがあるし、造詣が深くても正解できないことがある。そういう理不尽な遊びだ、それだけのことです。「たかがクイズ」にムキにならないようにしようね、というのが私の基本的なスタンス。