なあおまえ、まだそんな事ばかりやってんのでっか

・ペーパーレス時代に逆行し、戯れに手に入れてみた。 これ自体は安価なのだが、送料やら何やらで、結局2倍近い金額となる。だから「戯れ」なのである。

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・なお、私はクイズ問題を無料で惜しげもなくHPで公開しているが、これは来たるペーパーレス時代を20年以上前に見通していた・・・からではなく、より多くの人が見られる状態にしておくことが私の自己満足を最大化するからである。要は、自分で作った問題を見てほしくてたまらない、ということ。クイズ的露出狂と考えていただければ良いのではないか。つまり「HARENCHI」なんですね。

 

・そしてこれは「QUIZ JAPAN」でも話題になっていた「問題集文化」に、私自身は与しないよという宣言でもある。もちろん、問題集を作って頒布したり販売したりする人を批判するつもりはさらさらない。

 

・まあ、最も大きいのは「変な問題だと思っても、無料だから許して」という、極めて不真面目な理由である。

 

・一方で写真の問題冊子のような問題集が頒布され、ひょんなことから広まったりしたら、硬直化している「問題集文化」が新たな局面に移行するきっかけになり得る。それはそれで喜ばしい。

 

・で、「QUIZ JAPAN」の所感はまた今度。にしても、「Knock Out」が三部作だったとは知らなかった。

 

昭和の空に残されている寒鴉(国語教師らしく俳句の引用などを)

・ウチの高校のクイズ研の早押しに参加することが稀にある。最近はかなりの量の問題を早押しでこなしているらしく、指がメチャメチャ早い。ベタ問の蓄積も増えてきたようだ。問題は世に無尽蔵に出回ってるからね。一方、おっさんは全然ランプが点かない。

 

・そんな中、「数学で、面積を表す」くらいで押して「V」と答えた人がいた。気になったので、「この問題って、Spaceっていう答えはあり得ないの?」と聞いてみたら、「『面積を表す』くらいで押せば、その後の『Sは』まで聞けて、その『は』が上がっているか下がっているか判断できる」というようなことを(原文のままではないが)教えてもらった。ほー、それは勉強になる。でも、私にはそういう押しは一生無理ですな。

 

・『水津康夫のクイズ全書』では、アップダウンクイズ佐々木美絵さんの問題読みを絶賛しているが、彼女のすばらしいのはボタンが押されたらそこでピタッと止めるところだと言うことだった。これについては私も21年前に既に述べている。昭和のクイズで止まっているおっさんは、クイズの変化に全くついて行けないのである。最近の執筆活動により、自分がいかに「昭和のクイズ」に留まっているかを自覚させられっぱなしなのである。

 

・ということで、相変わらずクイズの変遷について文章を書いているが、いつ完成するのか。執筆スピードは少しずつ上がっているのだが。

なつかしい野原で遊んでる夢を見ました

・5月3日、オンラインクイズを行った。そのときの問題はこちら

 

・オンラインクイズは今まで極力行わないようにしてきた。一度始めると、生活の一部となってしまいそうな気がしたからである。私にとってのクイズは生活の句読点でしかない。今回のように、たまにしか会わない知り合いが集まってクイズを行うことの、代替として行うという位置づけであれば、アリかな、と。TQCの方々とクイズをすると、すぐに昔に戻る。おっさん5人が無邪気に遊んでいる。ハタからは見ない方が良いかも。

 

・秋元さんも書いておられるとおり、オンライン早押しは(すべてのシステムがそうなのか分からないが)押してからボタン音が鳴るまで少々のタイムラグがあった。となると、(私はできなかったが)「読ませ押し」の上をいく「読ませすぎ押し」という芸当も可能になるかもしれない。

 

・そもそも私はあまり「読ませ押し」というテクニックを前提としてクイズが構築されることを好まない。オンライン早押しのように、「クイズ感覚」というより「ゲーム感覚」(何が違うんだ)で対処するのがふさわしいクイズは、こういう機会でもなければやらないかもしれない。これは好き嫌いだからしかたがない。こう言うクイズを好む人を批判しているわけではないのであしからず。

 

・にしても、秋元さんの企画とはいつも基本的に相性が良い。普段のHPの問題は全然正解できてないのに不思議だ。たぶん、分かる問題が何問に1問かあって、それが単独正解になることが多いからだろう。もちろん、早押しじゃないのも理由の一つ。私は自分に甘いので、たかだかミニクイズに勝ったくらいのことで「おれ、まだいけるな」と勘違いすることにしている。間違ったり思い出せなくて悔しい問題もたくさんあったが、それも含めてクイズという遊びの楽しみだからね。

 

・鶴君の大量の問題群も久しぶりに堪能。ようやっと彼が東大風(not東大)と呼ばれていた時代の「何を見てもクイズ問題になる状態(=クイズ的トランス状態)」が戻ってきたようでなにより。でもまあ、あそこまでオリジナルであることにこだわらなくてもいいのでは? 1問1問がオリジナルであることより、問題群としてオリジナルさが出ていればいいんじゃないの? 

 

・私もかつては1問たりとも他の人と被りたくない、と考えたことがある。ただ、最近は世の中に出回っている問題数が増えすぎてしまい、全く誰も出題したことのない問題を作ろうとしても厳しいわけで。あまりストイックになると、クイズって苦しくないですかね(これは鶴君だけではなく、世間一般に伝えたい)。

サファイアを目に埋め込んでる方と埋め込んでない方(明確な対比シリーズその4)

・「プロフェッショナル」のクイズ回を視聴。普通は1人を取り上げる番組だから、2人を取り上げるのは割と異例なわけだが、この2人の対比が非常に明確であり、お互いへの感情のやりとりが分かりやすいから、そこにドラマが見えてくる。面白く見た。

 

・クイズに限らず、アイディアを出して形にすることを主たる仕事にする人達の苦労は、並大抵のものではないだろう。本当に、何にも出てこなくなる瞬間がある。「マイエンジェル」問題作成直後に携わった「アブノーマルチェック」の質問を考えるバイトが、今までで一番の地獄だった。一生懸命考えれば出てくる、と言うものでもないから。若き鬼才・田平宏一がほとんど一人で考えたぶっとび(死語)企画であり、携われたのが本当に幸運(「マイエンジェル」とは相当別の意味で)だったのだが、面白い企画ほど、ネタ出しに苦労する。同じパターンでネタを量産しなければいけないし。

 

・謎解きだけでなくキャスター的な仕事をしたり、クイズ動画だけでなく教育っぽいアイテムの宣伝をしたり、肉体改造したり、多角的に事業展開する人がいるのは当然の流れだと思う。結局は「自分」を資本にする職業だしね。

 

・そんな中にあって、あえてテレビを主戦場とする苦しいクイズ作家業を続けるお二方には頭が下がる。クイズが好きだ、というだけでは続かない。ただ、同じオッサンの目から見て、ちょっと無理して走りすぎているようにも感じる。それにしても、あの二人の後継者っているのかな?

 

・クイズを論じる試みは、まさに多岐亡羊の極み。ただ「QUIZ JAPAN」の次の発刊の前に発表しないと、内容がかぶりそうで困った。

Over endless plains, stumbling in cracked earth

・クイズというのは、世の中の雑多で統一しにくい事柄を相手にして、その都度問題を作成していくものである、と私は理解していた。統一しにくい中でも統一できたらすればいいし、しにくかったら無理してしなくてもいーじゃん、というのが私の立場である。

 

・「日本人ノーベル賞受賞者」が「日本国籍を有して日本にずっと暮らしている人」だけだった時代は、「日本人として〇人目のノーベル賞受賞者」とかいう表現を使ったクイズ問題が成立しうるが、アメリカに帰化した物理学者がノーベル賞を受賞した時点で、この表現は使いにくくなる。だったら、使わなければいーじゃん、というだけの話。クイズに都合のよい表現が使えなくなったからと言って、ことさら悲しむ必要は無い。新しいのを考えれば良い。

 

・それを、日本人ノーベル賞受賞者関連の問題は、今までせっかく出題しまくってベタ問題になったし、みんなで一生懸命覚えまくった苦労を無駄にしたくないし、などという程度の理由で無理矢理何とか出題しようとするのは、本末転倒ではないか。雑多な事実からピックアップして問題を作るのが本来の姿であって、今まで出題されていた問題がこれからも出題し続けられるようにすることがクイズ作成の目的であるはずがない。

 

・だから、この記事を読んだとき、ややびっくりした。「その荒れたクイズの知識の土地を整地するのが、めちゃくちゃ大変そうです。これはクイズ愛好家たちが一丸となって取り組まなければいけない課題だと思います」とある。クイズの知識が荒れたなら、荒れたなりに好き勝手問題を出題していけば良いのであって、わざわざ整地する必要は無い。荒れたことを嘆く必要も無い。別にコロナ禍でクイズを作れなくなったわけではない。おそらくここで言う「整地」とは、「これは今後も出題されうる」とか、「知識をこのような形で整理して覚えるとクイズに勝てる」とか、「ここで押すのが最適解だ」とか、そういう形で知識を整理し共有していくことを指していると思われる。現在のクイズのメインストリームは、そのように「クイズ愛好家たちが一丸となって」クイズの知識を整理して共有してできあがっているのであろう。

 

・クイズの「よく出る問題」の知識を、将棋の定跡と同じように考えるのなら、それでもよいかもしれない。ただ「何でもあり」も、クイズの醍醐味である。せっかく「定跡通りいかないような世界を作り得る」という可能性が大きく広がっているクイズの世界。整地しないまま果てしない荒野をよろめきながら進む人が、もっと増えてもいい。それをしないとどんどんクイズは先細りする伝統芸能のようになってしまうかもしれない。

あそこに行きたいか!(DT漫才クイズより)

・「頭脳王」視聴。あまりコメントはないが、ただひたすらアナウンサーがうるさかった。オセロについて分析している人がいてちょっとだけ話題になっていたが、6年ちょっと前にこんな指摘をしている人もいる。いずれ、頭脳を競うなら極力フェアな条件で行う体(てい)でやらないとまずいんじゃないの? 「99人未満の壁」よりよっぽど悪質では?

 

・「ノーナレ」視聴。「人生最高の一問」を、番組が成立するように上手に作った腕はお見事。部外者である私が偉そうに言うのも何だが、日高さんの問題には「じょうずな問題」「きれいな問題」、矢野さんの問題には「新しい問題」「目を引く問題」という感想を持っている。「プロフェッショナル」では、その辺の対比と交叉が丹念に描かれると面白いのだが。「99人の壁」で良い思いをさせていただいた私としては、お二人とも(お一人は面識がないが)体に気をつけられますことを切に願うところである。

 

・「早押しはいらないのではないか」という提起は、もっと深掘りされて良い。私にも思うところがあるが、諸事情で今は書かない。

 

・だらだら長生きするのを目標とする私には、「クイズは生きがい」とか「一生懸命やる」とか、そういうクイズに対するスタンスは意想外のものである。別に舐めているわけではないのだが、何処かで「たかだかクイズじゃないか」とタカをくくっている自分に気付く瞬間がある。一度マジでクイズをすると変わるのだろうか。ゆっくり準備している「ひとりユリイカ」が終わったら、マジでクイズの勉強でもしようかしら。なんか今の自分のスタンスに飽きてきてるし。

電波少年に毛が生えた 最後の聖戦

BPO委員会決定は、クイズ番組制作の裏側が見えて面白い。一方、私が「99人の壁」に出場するなどと全く考えていなかった頃に書いた文章がこちら

 

・もう「99秒の壁」だけで番組にしたらいいのでは? でもそれだと今までのよくある対決系番組と何ら変わらないか。

 

・「たけしのこれがホントのニッポン芸能史」。「海外ロケ番組」だけで1時間30分は無理ですって。権利関係もメチャメチャ面倒そうだし。電波少年ならもっと引っ張れたかも・・・と言っても、別に海外ロケがメインの番組じゃないしなー。つーか、稲川素子事務所は「海外ロケ」なのか? ウルトラクイズを取り上げる必要も無かった気がする。だったら「チョモランマがそこにある」の方が絶対に良い。あの番組の方が福留氏も話しやすかったのではないか? 

 

・テレビ番組は、番組内容にふさわしい「時間枠」が与えられるわけではない。何とか放送時間をもたせなければならない、そんな悲哀ばかり最近感じる。だから、かったるい番組が多いような気がしている(あくまで主観)。間が持てないのである。「ガキ」しかり。新型コロナの状況下、間延びした番組多くないですか? YouTube人気の影響かな? とにかくひっぱりすぎ。引っ張りすぎと言えば、、電波少年の晩年もなかなかだった。

 

・全くどうでも良いのだが、稲川素子事務所HPを初めて見た。「こんばんは、森シンジンです」でおなじみのマジド=シャイエステはいないのね。