ふさぎこまないでどうか 目を覚ませ 道を探せ

・今年ももう終わろうとしている。4月以降、いろいろ新しい仕事が入りまくって、多忙すぎてなんだかよくわからない状況が続いた。更新もままならない。というか、更新する気力が湧かない。クイズ史の文章も、次章が8割くらいできたところで1年以上完全に止まっている。とりあえずブログ更新が滞ったことで上部に広告が出てきたようなので、むりやり更新している状況である。

 

・もっとも、クイズ的にはさほどトピックになるような出来事がないので、「無理にでも更新しよう」という気にもならない。クイズブーム(というものがあったとすれば)は完全に沈静化したようですし。次回の「アタック25Next」が年男・年女大会だというので、一瞬期待したが、福岡の某氏は出演しないようである。だから、やっぱ書くことがない。

 

・多忙を理由にして、やりたいことがやれない状況は好きではないのだが、ちょっと今年は異常。「アタック25Next」予選会に応募するのさえためらっている。思えば「アタック25」の30周年大会も、「ホールドオン」も、出場のオファーがあったのにいろいろ仕事とかぶったため辞退したのであった。つーか、クイズ問題も全然作っておらず、最近作ったのは「ヒッチコックの映画『レベッカ』で、レベッカを演じたのは誰?」くらい。答えは省略するが、やる気のなさがよく分かる。

 

・まあ、年末年始の休みが些少なれどもあるので、またお会いしましょう。

くやしさだけを胸の奥に刻みこめ(ジャニーズ名曲シリーズその1)

・旧Twitterが、アカウント登録しないと新規投稿を見られない状況になって、もう2ヶ月以上になる。その間、アカウント登録していない私は、新規投稿を一切見ていない。まあ、そもそも旧Twitterの情報など、見ていない人間にとっては存在していないのと同じなので、そういう意味では見なくても特段困らないし、気にならない。偶然私と同じ意見が先に発表されているかもしれないが、そんなのは、知ったことではない。だって公開されてないんだもの。

 

・秋元さんのツイートも鶴君のツイートも、全然見てない。不義理といえばそれまでだが、見られないんだからしょうがないよね。ほんとに必要な情報ならネットニュースになるでしょ。坂田師匠の写真のように。

 

・さて、高校生クイズの感想である。

 

・そもそも論として私は、たかだかクイズ番組で「未来の日本を担う高校生」的な言動をすることが好きではない。高校生のクイズ王決定戦的な番組は他にもあるが、それらはせいぜいクイズに強い人を決めるくらいのコンセプトしかない(と思うが、ろくに見ていないのでよくわからない)。なのに、ここまで大上段に構える不遜さが嫌い。何度でも言うが、たかがクイズじゃないか。強いからといって、何だというのか(もちろんそれはクイズに限ったことではない)。

 

・番組として見たとき、「Qさま」とか「東大王」とか、そういう番組と同類の番組だと思えば、それなりによくできていると思う。少なくとも、我が家の子供たちはそれなりに楽しんで見ていた。現今のバラエティーの文法に則った(NTV的には「全部やれ」を全部やった)行儀のよい作りだということでしょう。

 

・感想はこのくらいでしょうか。クイズ番組として面白かった、とはあまり思わない。それは「早押しがほとんどなかったから」などという理由ではなく、単純に「問題があまり面白くなかったから」である。クイズが得意な高校生に照準を合わせた問題だから、大人(というかおっさん)が面白いと思う可能性は低いのである。これはしかたのないことだ。

 

・視聴率的なことを言えば、たとえば「おっさん・おばはんにとっては常識だが、高校生にとっては常識といえない問題」を映像で出題すれば、数字は伸びまっせ。フォーリーブスを見せて「このグループの名前は何」とかね。最近ちょっとした昭和ブームだし。どうせ事前にジャンル指定して勉強させているわけだから、そういうことも可能だと思う。でもまあ、こういうジャンルだと「日本の未来を担う」っぽさは感じないわな。

 

・つーか、高校生クイズというフォーマットは、そういうクイズを出題するにはやや不自由なのでしょう。最初から4~6チームくらいに絞って、2時間ずっとクイズを出し続けられれば、そういうのも出せるだろうけどね。「勝ち残り式」のルール縛りがきびしいのでしょう。

 

・話は変わるが、BSよしもとの「花王名人劇場」はめちゃめちゃ勉強になる。「昭和お笑い史」のおっさんをうならせる最高のラインナップ。特に最近のラインナップはめちゃくちゃ豪勢である。マギー信沢(これは貴重!)とかパン猪狩とか、ちゃんと太神楽を演じる染太郎師匠とか、春日三球・芳賀みちるの漫才とか、毎週泣きそうになる。やっぱり、長生きはするものですなあ。

You don't know how lucky you are,boy

秋田県を襲った大雨により、家の前後の道路は川の流れのように濁流状態であったが、すんでのところで家屋の浸水は免れ、生活排水が半日程度流れにくくなったくらいで、さほど生活の支障がなかった。このときは不便を託(かこ)っていたが、我が家はかなりラッキーだったようで、家を少し離れたところでは相当広範囲に床下・床上浸水が起こってしまった。そしてなお前線が停滞中。以上、近況報告でした。

 

・なんてことに追われているうちに、高校生クイズの一次予選が終わったらしいですな。ウチの高校は出ることができたのだろうか。

 

・つーか、今月初頭からTwitterが見られなくなってしまった。アカウントを持っていないので、ホントに見ていない。作ればいーじゃん、と言われそうだが、意地でも作らないことにしているので。まあ、別段それで困ることもないのでかまわない。

 

・と思っていたら、鶴君の問題集発行にしばらく気づかなかった。早速ダウンロードして拝読。前も書いたが、(クイズを生業としていない人が)無料で頒布した問題集が増えていくことは、クイズ界の共有財産を増やす大変有意義なことであると思う。オリジナリティーのある問題集が無料で頒布され、よく出る問題を集めた問題集が有料で取引される。これを倒錯(だじゃれではない)と呼ぶ。

 

・最近、某BSチャンネルの「花王名人劇場」再放送が熱い。当初は肖像権がクリアになっていた芸人が少なかったようで、ひたすら「やすし・きよし」「阪神・巨人」「コントレオナルド」など、特定のコンビのネタばかり放送していたが、最近新たにクリアした芸人が一気に増えたようだ。林家彦六師匠と林家こぶ平(当時)氏の肖像権もクリアしたらしい。彦六師匠の肖像権。これはだじゃれです。

なやみながら コトバさがしていたんです

・せっかく取り上げていただいたので、もう少しだけ追加記述を。社会的立場もあるので、なるべくソフトに。久々の長文です。言葉は相当選んでます。

 

・「敗者復活」の項目、「敗者復活」と書いたタスキが使われたのは第16回だけであり、それ以外のほとんど(名古屋以外)のタスキには「敗者復活者」と書いてある。辞典の記述として間違っているわけではないが、やや気になった。

 

・ということを書きたいわけではない。本題は「基本問題」と「ベタ問題」。

 

・私個人としては、abcの問題が基本問題であってもベタ問題であっても、そのことはどうでもいいし、たとえ「ベタ問題」が多く含まれていても、それを批判する気はない。ただ「abcの問題は、基本問題だからベタ問題ではない」という言い方がもしなされるとしたら、それは非常に不正確な言い方だと思う。同様に、「基本問題ってことはベタ問題ってことでしょ」と言う物言いも、非常に不正確だと思う。

 

・『クイズ用語辞典』では、「ここ(abcのコンセプトのこと…引用者注)での『基本問題』は、本書で立項したとおり、実社会での認知度に即した内容と問うているという考え方で、『ベタ問題』ばかりが出題されるという意味ではありません」(P114)と書いてある。記述に間違いがあるとまではいわないが、「基本問題だけを出します」=「ベタ問題ばかり出るわけではない」という関係が成り立っているような読み方が、できなくもない。しかしそのような関係はそもそも成り立たない。その理由を次に述べる。

 

・そもそも「基本問題」と「ベタ問題」では、指し示す概念が違いすぎる。「基本問題」は「出題内容」に関する分類から得られる概念であり、「ベタ問題」は「出題頻度」に関する分類から得られる概念であるからだ。だから、「ベタであり基本である問題」「ベタではないが基本である問題」「基本ではないがベタである問題(無名な賞の無名な受賞者とか)」「基本でもベタでもない問題」があり得ることになる。概念が違うから、出題する側が「基本問題」だと思って出題しても、受け取る側が「ベタ問題ですね」と受け取ることは、十分あり得る。

 

・だから「基本問題だけを出します」=「ベタ問題は出ません」という理屈は成り立たない。「何処にも出たことがない基本問題ばかり出てます」というのなら話は別だが、これは「abc」の実態と相当ずれている。同じように、「基本問題」=「ベタ問題」という議論も成立しない。

 

・「ベタ問題」と「基本問題」は、概念としては峻別される。しかし、あるクイズ問題を「ベタ問題」か「基本問題」か(それ以外か)に分けるのは誤っている。同様に、同一視するのも間違っている。最近「分ける側」「同一視する側」の両者による噛み合わない議論が起こっている状況が見られた。で、この辞典の記述は、「分ける側」に傾いているような気がした。そこが些か気になったのである(別に私は「同一視する側」に与したいわけでもない)。

 

・この本はあくまでも「読み物」であって、権威的な役割や議論の白黒をつける役割を果たすのは、たぶん著者の本意でもないだろう(だから私は読み物としての出来だけを論じたのだ)。「○○が入っていた!」「あの用語も入れて欲しかった」とかキャッキャ言って楽しむのがちょうど良いのだ。

 

・なお余談ながら、私の感じる「abc」の問題群の印象。題材的には確かに「基本問題」と言えるようなものがほとんどだが、ベタかどうかという観点から見ると、概ね「①超ベタ問題」「②実質的にベタになってしまっている前フリから始まる問題」「③ベタ問題に、先読みに役立ちそうな前フリをつけた問題」「④新しい題材をクイズ的な切り口で料理した問題」に分類できる(今急いで分類したものであり、非常に雑な分類ですが)。だから、「ベタもあるし、そうでないのもある」「ややベタっぽい問題の割合は高いかな」「ただ、一般の社会から解離した題材はほとんどないかな」というのが私の認識である。

毎度おなじみ、不要不急の番組タモリ倶楽部でございます

・クイズ史を概観する必要上から『クイズ用語辞典』を購入し、パラパラと読んでみた。まずはクイズを離れて、「本好き」という観点から感想を。

 

・第一印象は『なんとなく、クリスタル』の注釈のような感じ。クイズ関係のツイートとか文章とかを読んだら、こういう注釈がうじゃうじゃつくんだろうなあ、と。

 

・もっとも、『なんクリ』の注釈にはある種の批評性が感じられる(江藤淳がそう言ってましたね)のに対し、『クイズ用語辞典』は割と無色透明で最大公約数的な記述という印象。ただ、現在行われているオープン的な大会や、その界隈で使われるゴリゴリのジャーゴンに関する記述では、非常に筆の滑りが良くなり、少しだけ気持ちがこもる。そこが特徴と言えば特徴か。でもまあ、最低限の「滑り」である。全体には(わざとだと思うが)執筆者の個性を感じさせない記述に終始している。

 

・何でもネットで調べられる時代に、このような『用語辞典』を執筆するならば、記事が正確であることは当然として、そこに「執筆者の持つ『個性的で余計な』情報(思い入れとか、実体験とか、エピソードとか)」が含まれる必要がある。誠文堂新光社の「○○語辞典」シリーズが面白いのは、そうした要素がしっかり含まれた「そつのある」辞典になっているからであろう(『談志語辞典』はその最たるもの)。そういう観点からすれば、『クイズ用語辞典』はちょっと物足りない内容だったかな、と思った。あと、できれば索引がほしい。

 

・「そつ」について付言しておけば、今のクイズは全般的に見て、良くも悪くも「そつがない」。一方、私が好きなのは、クイズに限らず「そつ」だらけのものばかり。だから物足りなく感じたのかも。なお、日本のエンタメ史上最も「そつ」があったのは、たぶん「タモリ倶楽部」であろう。存在そのものが「そつ」なのである。だからクイズを取り上げたとき、あまり面白くなかったのだ。

 

・この辞典が将来において、クイズをする人たちを縛る「権威」になることは、たぶん無いと思う。この辞典の記述を元にして他人のクイズやクイズ論を批判する、ということも、あまり起きそうにない(それだけ無色な内容だ、とも言える)。だから内容については特に意見を述べない。ちょこちょこ気になること(「基本問題」と「ベタ問題」を殊更区別しようとする姿勢とか)はあるが、さして影響はないだろう。

今から20年後に もう一度会ったなら 僕は何をしてるだろう

・もうひとつ、アップし忘れていた問題をこちらへ。

 

・にしても、事実が変わっているものが多く、チェックが面倒。やっぱ、すぐ発表してしまうに限る。にしても、「ボツ問」とか言って発表した問題が結構含まれているのは、あかんわね。

20年後の この故郷で 明日お嫁に お嫁に行くの

・「ボツリヌス菌」の自作問題が、某大会の出題とかぶったとか言って騒いでいた人がいたので、思い出した。そういえば、私もこの問題を作ったはずだと。

 

・で、検索をかけて調べたところ、2002年に「1才未満の赤ちゃんには蜂蜜を与えてはいけないと言われています。これは蜂蜜の中に何という細菌の胞子が含まれている可能性があるから?」という問題を作っている。

 

・ただし、実際に仲間ウチで出題するときには問題文を変えており、「ボツリヌス菌の胞子が含まれている可能性があるため、1歳未満の赤ん坊には与えてはいけないとされている甘い食べ物は何?」としている。

 

・今なら「ボツリヌス菌の胞子が」あたりで押されてしまうことを考慮して、こう言う問題文にはしないと思うし、「ハチミツ」以外にそういう食物が一切ないことを証明するのも面倒なので、ボツリヌスの方を答えにすると思う。

 

・ということで、かぶったかぶったと騒いでもしかたがない、という私の立場は変わらず。だって数万問を作っていれば、そりゃかぶるって。

 

・・・・と思っていたら、この問題、2002年12月1日に何処かで出題したはずなのだが、HPに一切アップされていなかった(たぶん)。なので、20年の歳月を超えてここに発表する。こういう問題が2003年出題文にもあったので、近々公開する。

 

・にしても、20年ほったらかすとは我ながらスゴイ。これがホンマのチチ帰るやおまへんか。