20年後の この故郷で 明日お嫁に お嫁に行くの

・「ボツリヌス菌」の自作問題が、某大会の出題とかぶったとか言って騒いでいた人がいたので、思い出した。そういえば、私もこの問題を作ったはずだと。

 

・で、検索をかけて調べたところ、2002年に「1才未満の赤ちゃんには蜂蜜を与えてはいけないと言われています。これは蜂蜜の中に何という細菌の胞子が含まれている可能性があるから?」という問題を作っている。

 

・ただし、実際に仲間ウチで出題するときには問題文を変えており、「ボツリヌス菌の胞子が含まれている可能性があるため、1歳未満の赤ん坊には与えてはいけないとされている甘い食べ物は何?」としている。

 

・今なら「ボツリヌス菌の胞子が」あたりで押されてしまうことを考慮して、こう言う問題文にはしないと思うし、「ハチミツ」以外にそういう食物が一切ないことを証明するのも面倒なので、ボツリヌスの方を答えにすると思う。

 

・ということで、かぶったかぶったと騒いでもしかたがない、という私の立場は変わらず。だって数万問を作っていれば、そりゃかぶるって。

 

・・・・と思っていたら、この問題、2002年12月1日に何処かで出題したはずなのだが、HPに一切アップされていなかった(たぶん)。なので、20年の歳月を超えてここに発表する。こういう問題が2003年出題文にもあったので、近々公開する。

 

・にしても、20年ほったらかすとは我ながらスゴイ。これがホンマのチチ帰るやおまへんか。

人生という楽器は 真実で奏でるもんなんだよ

・ある方に指摘していただいたことですが、ここにある問題の第5問は、事実と異なる内容と判断し、削除します。私の記憶だけで作ったのですが(私の中では二人がここまで叫んでいたのですが)、今確認できる「じゃんけん決闘」の映像を全て確認しても、「最初はグー、じゃんけんぽん」以外の言い方を見つけられませんでした。ドリフ関連の書籍も結構探したのですが、ダメでした。ということで、問題を削除します。ごめんなさい。

 

・こういうとき、ネットの情報は全くもってあてになりませんね。日本にもこういうサイトがあれば嬉しいのですがね。英語や英米文化に明るくないので、どこまで信用できるか分かりませんけど。いずれにしろ、クイズにしたくなるような面白いことほど、真実に遠い。普通のことほど、真実に近い。

故に有の以て利を為すは、無の以て用を為せばなり。

・年頭の感。相変わらずぼやっとしたことを。分かりづらいでしょうが、思いついたまま書く。

 

・受験勉強として繰り返し出題される問題にはめっぽう強いが、ちょっとずらされると対応できない。そういう受験生を数多く見てきた。そういうときにもビクともしない、知的にタフな連中は、例外なく「余計なこと」をたくさんしてきたヤツらだった。昔は、そういう人が多かったと思う。で、経験した「余計なこと」の総体が、その人の個性を形作っている。「余計なこと」をしていない人は、何処かみんな似ているものである。

 

・そういう無数の「余計なこと」のひとつに、どうか「クイズ」が入ってくれていればいいなあ、と思う。

 

・余計なことついでにもう一つ余計なことを。これから、幼少期から「余計なこと」をどれだけ経験したかで勝負が決まる時代が来る。必ず来る。だって世の中が「余計ではないこと」の精度を競う時代になっているんだもの。そこで「96点ではなく97点を取るには」みたいな勝負をしてもしょうがないのである。だから、「クイズという余計なこと」と私が言う場合、想定しているのは「みんなが同じ目標を目指すようなタイプのクイズではないクイズ(なんだそれは)」のことである。

 

・わざわざ必死に勉強をして某大学の理系に入学をしたのに国語の教師をやり、役にも立たないクイズなどをたしなみ、「昭和お笑い史」に造詣の深い、英語ダメダメ人間としては、そういう時代がくることを切に祈るわけである。

スパンコールと羽根飾りをつけて 今夜もあたしの出番が来る

・「THE W」視聴。漫才よりコントの評価が高い、という傾向について様々な意見が散見される。これについて、私は全然違う感想なので、一応覚え書き。

 

・今回出てきた漫才の多くは、「必然性が与えられていないまま、いきなりハイテンションになる」というパターンであった。最初からいきなりハイテンションだと「異常者」でしかない。ハイテンションになるには、見ている人が納得できる理由が必要である。「おいでやすこが」でも、最初からハイテンションなのではない。ハイテンションの代名詞「ほほほい」でさえ、最初は静かに入る。やむにやまれず、ハイテンションになっていくから面白いのである。

 

・そういう「心情を動かす必然性」がちゃんと見えないと笑えない。この辺は多分に技術的な問題なので、本当に上手い女性漫才コンビが出てくれば、「漫才が有利かコントが有利か」論争に終止符を打ってくれると思う。まあ、それだけのことでしょう。

 

・ということで、「昭和お笑い史」に造詣が深い私からすると、史上一押しの女性漫才コンビは「海原さおり・しおり」。特に海原しおりさんはスゴイ。ボケもツッコミもできる、緩急自在、すばらしい。テンションが高いツッコミのイメージが強いが、そんなことはございません。ただ、どうしても時代の限界なのか、ネタが女性女性しているのが残念。今ならもっと自由なテーマで漫才をしたはず。この上手さはすべての女性芸人の参考になると思う。

今日は何故かおだやかで 知らん顔してる自分が見える

・そういえば、半年前に作った問題をアップし忘れていたので、ここに発表する。5月にオンラインで出題した問題群だが、おまけもあるのでよろしく。世間では需要が無さそうな問題群であるが、世間の需要などどうでもいい。クイズ界隈の好みとかもどうでもいい。作った私が楽しければそれがすべてである。

青春という名のラーメン

・前回の記事の内容を、一応補足しておきたい。

 

・クイズ番組に出題する、という観点から言えば、1回戦で「10問目にどういう問題が来たかによって、著しく有利になったり不利になったりしたこと」そのものに対しては、別に批判する気は無い。クイズ番組なんてそんなもんだから。クイズ番組というものはそれなりに不公平であり、運も重要であり、そういうものであり続けてきたわけで。「全てのクイズが公平であるべきだ」とは、一切思っていない。

 

・ただ、「努力が報われる」と高校生を煽っておいて、出題される問題の有利不利の差があんなにも眼に見える形で存在することに対して、いかがなものなのか、と言いたいだけなのである。クイズだから、完全に公平にすることは無理である。そのくらいは理解しているつもりである。それでも、「努力が報われる」と参加者が思えるための最低条件として、せめて公平な感じを演出しようという努力があって然るべきではないか。

 

・クイズ番組において、完全に公平な状況を演出するのが非常に難しいものであるのは承知している。出題される問題による有利不利は、クイズにおいてどうしても否定できないものであるから。それでも、いやしくも「努力が報われる」と標榜するのであれば、もう少し何とかしなければいけないのではないか。それが無理なら、「努力が報われる」などと、言わなければ良いのだ。

 

・私が本来の自分の思想(努力なんてクイズに関係ないさ、というような思想)を枉げてまで、何故ここまで「完全にフェアな状況でやってほしい」と言っているかというと、彼らは部活動やら同好会活動やら、そういう学校の教育活動の一環としてクイズを行っているからである。テレビなんて、ピュアな人をだまくらかしてマジにさせて、その姿を見世物にするものである。そんなことは高校生もたぶん分かっている。ただ、部活動やクラブ活動としてマジにやっていて、高校生クイズを「インターハイ」くらいに思っている生徒達を出場させている責任くらいは、感じてほしいと思うのである。

 

・私がクイズを高文連に入れない方が良いという理由の1つに、クイズをしている高校生達がマジすぎるから、というのも、確実に存在している。クイズという遊びは、今後どれだけ競技化が進んだとしても、ウブでありマジすぎる人に対して真に適切に対処できるほど、厳密な競技になり得ないと思う。部活の大会には向かないのだ。結局、クイズ大会はエンタメであることからどうしても逃れられないということです。かといって演劇部門や吹奏楽部門のように、完全なる審査で勝敗を決めることも無理だし(審査基準を審査員めいめいが長文で述べ合ったとしても)。

 

・もうひとつだけ。昨日午前中、NHKで「これがボクたちの青春!〜高松工芸高校ボクシング部〜」というのが再放送されていた。番組中、ボクシングの試合シーンはごくごく最低限に限られていて、それ以外の高校生の心の動きに焦点が当てられていた。ボクシング番組ではないから、当然である。紹介される部員の抱えているものが、一人一人違うから、ずっと見ていられた。

 

・「鳥人間コンテスト」もそうだ。飛ぶシーンより、それ以外のシーンの方が圧倒的に長い。つーか、「高校生クイズ」もそうだよね。

 

・で、結論。どうも私が高校生クイズにはまれないのは、結局クイズをする高校生がみんな同じに見えてしまうからではないか。今のクイズは、どうしても個性的なプレーヤーが、個性をぶつけ合うようなクイズになりにくい。クイズに精度が求められれば求められるほど、そうなる。これは、どんな分野でも起きていることである。今あり得る個性というのは、藤井聡太ばりに「超強い」ということだけかもしれない。でもまあ、人間だから、微妙に個性的であるはずなのだ。どうすればそれを見せられるか。

 

・今までは「県代表」という要素が、最低限の「チームの個性」を担保していたのだが、それがなくなった今、2時間番組の中で高校生の個性を表現しきるのは難しい。いっそクイズのシーンを今以上に極限まで削るしかないか。どんだけ事前の努力をしまくってきたかVTRで紹介し(そこで個性をなるべく見せまくる)、クイズはほんのわずかのダイジェストだけ見せる。これでも「青春」はすべて見せきることができる。「24時間テレビ」の手法ですね。で、クイズそのものは有料サイトでじっくり見せる。解説したそうな人に解説させれば尚良し。問題を電子書籍として販売する。このビジネスモデル、完璧じゃない? どっかで見たようなモデルだが。

卒業式で泣かないと 冷たい人と言われそう

高校生クイズ視聴。今回の高校生クイズについての感想は、一切書かない予定だったが、やはり少し書く。全体に、かつての「知識の甲子園路線」を復活させ、出題範囲を明確にして、対策しやすくしつつ、ソフトにした印象。

 

・1回戦は「努力が報われたかどうか」より「10問目が答えやすかったかどうか」で決まっていましたね。にしても、どういう努力をすれば易しい問題を引き込める力を得られると言うのでしょうか。

 

・かつて福留功男氏は「ウルトラクイズはドキュメンタリーだ」と言っていたが、今回の高校生クイズこそ「ドキュメンタリー」なのだろう。だって、クイズ問題を見せようという気があまり感じられないんだもの。クイズは二の次なのだろう。だから、「クイズ番組」ではないのだ。そう思えば、どんな問題が出てても腹が立たないでしょう。

 

・私は「キン肉マン」は第7巻までで良いと思っている人間である。つまり、「青春」とか「友情」とか「団結」とか、そういうものをクイズに持ち込むのがあまり好きでは無い。だから、申し訳ないが(高校教員なのに)純粋にクイズをしているシーン以外は飛ばして見てしまった。