漢字のはなし

・最近読んでいる本『漢字を楽しむ』(阿辻哲次講談社現代新書)また読んでいる途中だが、あまりにも「?」な部分が多いので、つっこんでおく。

・問題は第二章。漢字の書き取り問題の採点への疑問を提示している部分である。

・一般に、漢字の書き取り問題の採点基準が不明瞭である、というのは確かに当たっている。にしても、あなたが教授をしている京都大学では、採点基準をそんなにはっきり出していましたっけ?

・あなたが評議員を務める日本漢字能力検定協会の実施している検定でも、はねるべき所をはねなければどういう採点をされるのか、全然明らかにしていませんが。そのくせあなたがあれだけ批判をしている教科書体に言及し、「教科書体を参考にして、ハネ・トメにも気を配って書きましょう」と、漢字検定協会では薦めているのです。

・例えば、「保」の字の書き取りでは、「木」の部分を「ホ」に見えるように書いても良い、ということなどを根拠にして、ハネ・トメにこだわる指導を批判している。「ホ」のように書いてもいい、ということは、はっきりと常用漢字表に書いてあるし、むしろその方が楷書の習慣としては普通である。同じような例として、「木へん」や「環」という字の15画目も古くからハネて書かれてきたことを挙げている。なので、一見阿辻氏の批判は正しいように見える。

・これらは、都合のいい例を出してきているに過ぎない。例えば、「手へん」は普通ハネて書かれる。ハネないで書くことは、歴史的に見て有り得ないようである。「ハネ・トメにこだわるな」というのであれば、「古くから書かれてきた形とは違う」ものに対しても、弁護しなければならない。しかし、そういう例については言及していない。りっしんべんをハネたり、「下」をハネてもいいということか? そう思っているのならそう書けばよいし、思っていないなら「ハネ・トメにこだわるな」などと無責任なことは書くべきではない。

・細かいことだが、「環」は「漢字の最高規範とされた康煕字典(と本当に思っているのだろうか?)」でハネていることを指摘している。康煕字典の字体は、楷書の普通の字体(今我々が書く字体ではなく、康煕字典前に書かれてきた字体)と違っているものが非常に多い。というか、康煕字典の字体が、楷書の習慣を無視したものであることは常識である(江守『字体辞典』など)。わざと楷書の習慣と康煕字典体が同じ形の字をひっぱってくるのはずるい。なお「還」はハネないのが普通だが、これについてはどう考えればよいのか。

・筆順についても批判している。「絶対に正しい筆順」というのは存在しない、と述べているのだが(p102あたり)、あなたが評議員を務める日本漢字能力検定協会の実施している検定では、協会が正しいと定めた筆順に沿って試験が行われているのです。試験について、評議員として批判をしたことがあるのですか?

・「筆順とは、過去の長い時間に漢字を書いてきたあいだに定着した慣習にすぎない。(p102)」と述べているが、それは文字の字形も、読み方も同じこと。慣習だからといって、否定できるものではないのではないか。というか、慣習だからこそ、合理的だから優先すべきものとして残ってきたと言えるのではないか。

・つーか、あなたが「木へん」をはねて書いてもよい、とした根拠が、「古くからそう書かれてきた」という「慣習」ではないですか? 慣習だから良い、と言ってみたり、慣習だから気にするでない、と言ってみたり。どっちなのだろう。

・私は筆順を、箸の正しい持ち方のようなものだと考えている。その通り使えば、効率よく上手に字を書くことができる。だから知っておいた方がよい。