しゃべりすぎだぞアナウンサー(『葬らん!』より)

・今日は長文です。アタック25、司会者が変わって当分経ったので、そろそろ一旦感想をまとめたい。
 
・たとえばアタックチャンス直前。私の感覚では「戦況を説明しすぎかな」と思われる。揶揄的に言えば「説明がうるさい」とか「テンポが悪くなる」などと表現することもできるかもしれない。だが、この感想は一般化できないし、たぶん当たっていない。
 
・そもそも、児玉さんの晩年の進行は、戦況を説明しなさすぎている気がしていた。これはこれで、視聴者を置いて言っているように見えた。(最晩年は別として)テンポを重視している、と言えるが、クイズ番組はテンポだけでもたせるものではない。
 
・「クイズはテンポだ」が口癖のお前が言うな、と突っ込まれるかもしれない。私の個人的な主張はそうなのだが、世間が今クイズに求めているものは、どうもテンポではないような気がしてきたのだ。
 
クイズグランプリの映像を動画サイトで見られるようになって久しい。このテンポは確かにクイズ番組の模範であり続けたと思う。しかし、現下の人気クイズ番組は、解説をくだくだしく行うのが主流になりつつある。見ていて本気で邪魔くさくなる高校生クイズの状況解説や、ヘキサゴン2での「この解答はこんな風にオバカなんですよ」というたいへんわかりやすい(皮肉ですよ)解説、「Qさま!」しかり、まー解説三昧である。
 
・もはや、クイズ番組の「演出」とは、リアクションのしやすい問題作成(これは従来から重視されていた)に加え、「状況解説」の技術のことを指すようになっている、かのようである。「ここにもし白が入りますと」と言うと、仮に白が入ったらどうパネルが変化するか、実際に見せるようになるのではないか。ま、アタック25の制作費・編集時間では無理か。でも、視聴率が落ちればやりかねない状況にあるのは間違いない。
 
・で、なんでそうなったのかを考えた。が、実はこれは、当然のことなのだという結論に至った。
 
・アタック25の出場者紹介で、ここ数年職業の欄がきわめてあっさりした記述になっている。いわば、視聴者が出場者に対して思い入れを持ちにくくなっている状況ができている。年齢すら公表できないようである。個人情報のうるさい時代だから仕方がない、らしい。
 
・出場者へ思い入れをもてるか、というのは今までのクイズ番組を支えてきた重要な要素である。ウルトラクイズしかり、アタック25しかり、かつては「この人はこういう人ですよ」というのが一瞬でつかめるような情報を提供するのが通例であった。
 
高校生クイズにしてもQさまにしてもヘキサゴン2にしても、ミリオネアでもそうだが、出場者のパーソナリティーを伝える部分に時間を割く。アタック25にはそれができない。しかし、根本はいっしょである。クイズそのものの面白さというのは、そもそもが伝えづらいものなのである。だから、それを伝えるために工夫する。簡単に言うと「クイズをする人にとっての面白さ」を無視して、「クイズを見る人にとっての面白さ」を、なるべく分かりやすく伝わるように伝達する。で、それがすべて「解説」という形で出てくる。
 
高校生クイズなら、「名門」というブランド、数学オリンピックだの孔子だのという分かりやすい権威による問題の意味づけ、クイズプレーヤーしか知らないようなベタを使用した超早押しの演出。これらすべて解説して伝えなければいけないことだ。
 
・Qさまなら出場者の学歴、問題につけられた正解率、解答者にかかるプレッシャーの演出、などである。これもすべて解説される。ヘキサゴン2は司会者による解説に、ほぼしぼられる。
 
・要は、言葉で伝えられる分かりやすい面白さを、クイズ番組では提供しまくっているわけだ。
 
・今のアタック25は個人への思い入れの代わりにゲーム展開の面白さを重視している(ように思う)。だから、最優先される情報は「パネル取りの展開」である。これは相当に解説が必要となる。だいたい、アタック25のルールというのは、そう分かりやすく作られていない。アタックチャンスのねらい目の選び方も、実は結構難しい(私も児玉さんに収録中なのにダメ出しされました)。
 
・そうすれば、自ずとパネル解説を冗長に行わざるを得ない。あの解説の長さは、浦川アナ主導で行われたのでは絶対に無い、と思う。収録後に反省会が行われ、細かい方針を検証しながら次の収録に備えるはずだ。今のアタック25は、今のスタッフが考え得る最高のイメージに近いものであるはずだ。
 
・児玉さんの解説の少なさに対して、スタッフにはもともと異論があったのではないか。今風のバラエティー番組の動向に敏感で、マイナーチェンジをどんどん行うアタック25のスタッフである。解説を増やした方が視聴者に分かりやすい、くらいのことはとっくに分かっていたはずだ。もちろん、児玉さんにその点のダメ出しをすることは、スタッフにできなかったと思いますがね。もちろん、パーソナリティーを重視した昔のアタック25だって、解説が必要な面白さを提供していた、と言う点では同じだ。
 
・この状況は、殆どすべてのテレビ番組に当てはまる。どう楽しめばよいかを解説することで、面白さを担保する。もちろん、そのトップリーダーと言えたのが、奇しくも先頃引退した某司会者であった。その司会者が感情を込めて話し出すと、オルゴールのような音楽が鳴る。そんな演出が、私は苦手だった。
 
閑話休題(ソレハサテオキ)、今や解説無しに面白さを伝えようとする、潔い・視聴者任せのバラエティー番組は、もはや絶滅の危機(「ガキ」が最後の牙城か)。秋元さんがずっと昔に主張した通り、日本では結局クイズそのものが力を持ったことがないのである。クイズ番組文化がクイズ文化と同一視されてきた状況下では、しかたのないことである。
 
・我々はクイズ番組で、クイズに付随する「解説」を、楽しんでいたに過ぎない。全く解説のない番組は有り得ないが、それを最低限にとどめ、クイズそのものを楽しませることを主流とする番組はできないのだろうか。できないのならば、そもそもクイズは「見る」ものではない、という結論に達することになるわけで。
 
・全くどうでもいい話。ヘキサゴン2の司会を誰にするか悩んでいるようですね。私は絶対に浜田雅功さんしかいないと思いますよ。