ちょっとピンぼけ

・で、先週火曜日のホールドオン。海外のクイズについて研究している人が紹介されるのは実に画期的なことである。メディア史上初であろう。良いことである。結果は残念でした。
 
・で、立命館のクイズ研究会がどう紹介されているかを見るために、その前の日の放送も見てみた。例会の早押しの場面が紹介されていた。クイズ研究会といえば、やはり早押しクイズなのだろう。これで思い出すのが、1995年放送の「ソリトン」なるNHKの番組である。
 
・当時、うちのサークルの先輩がこの番組に出演されるということで、例会の活動風景を撮影したいとスタッフが言ってきた。そのとき会長(私と同期)が「早押しだけがクイズだと思われたくないので、そうではないクイズ企画をしよう」と言い出した。収録はしたが、うちのサークルの活動風景は放送でカットされてしまっていた。ま、やむを得ない判断か。
 
・で、その時私が出題した問題の中に「Rのつかない月に、カキは何をしているのでしょう?」というのがあった。実に雑な問題である。何をしている、って、そりゃ、生活してますよ。
 
・もちろん、私の作題意図は「Rのつかない月にカキを食べるな」と言われるのは、その時期のカキが何をしている時期だから食用に適さないのでしょうか、というもの。それを、クイズ(こんなのが東大風か?)っぽくこんな文章にしてみたのである。
 
・厳密にいえば、この問題の答えは一つに決まらない。だいいち「Rのつかない月」ってところからいい加減なもんだ。「1月から12月までを英語でいうとき、綴りにRという文字がつかない月に」としなければならない。
 
・そんなことを言っていては、クイズ問題なんか作れないのである。そこは約束事というか、なんとなくお互いに理解できる範囲で問題文が絞り込めていればよいのである。そこには、いわば「一般常識」的な要素がかかわってくる。クイズは、決して問題文だけで解釈されるものではないのである。
 
・クイズにはそういうところがあって、いちいち細かく厳密に問題文を規定しなくても、解答者が出題者の意図を汲めればいいのである。なんとなれば、どうせ100%厳密な問題文など、不可能に近いのだから。(この話はいつか必ず掘り下げて書く)
 
・という観点で見たとしても、「日本では太陽が頭の真上に来ることはない」を、○にするのはまずいのではないか。確かに、構成作家の萩原氏のおっしゃる通り、「クイズは一般的な常識」であるから、「日本と言えば普通は人間の住んでいる場所を指すのではないですか」と言われれば、確かにそうだろう。「沖ノ鳥島という岩礁では真上に来る!」というのが、難癖に近いのも確かだ。しかし、難癖がつかない○×クイズこそ、いかなる視聴者をも楽しませうるのではないか。クイズは一般的な常識だが、その分野に精通している人にも納得できるものであることが理想だろう。
 
・「当時は『単なる岩礁を日本と称して、面白い問題を没にするような愚は避けよう』というのが結論でした」については、やや疑問がある。私は「マイエンジェル」の問題作成のバイトをしているとき、ボス(Y師匠)から「少しでも危ないと思ったら、問題を差し換えてほしい。面白いと思ったネタでも、間違い問題を出すととんでもないことになるから」と常々言われていた。これが誠実な姿勢というものではないか(とか言ってる自分も、間違い問題をちょいちょい出している。ごめんなさい)。いずれ、沖ノ鳥島についてわかっていたなら出題しないのが正しかったのではないか。もっとも、この辺は当時のクイズ番組が、出題の可否の基準をどう見ていたか、という部分にかかわってくるので、もっと子細な検討が必要となる。
 
・もっとも、この問題がどうしても出題しなければならないほど面白い問題だとも思わない。むしろ×だったら面白いような気がするが。
 
・クレームが来ないから、正しい問題だ、というのも、論法として正しいのかどうか。

・とはいえ、間違い問題についての指摘を受けて、当時の経緯も紹介しつつ、立場上問題は誤っていなかった、と明確に発言する氏の姿勢は素晴らしいと思った。