四色問題に挑む

・アタック25の予選会が昨日秋田で行われた、らしい。もちろん、私は呼ばれていない。

・この番組、私は3回出場したわけで、これだけで相当世間的にはうらやましいことなのだろうと思うが、それでも今も出演を画策して一応予選会に応募している。こういうのをクイズ好きの「業」と呼ぶ。

・そもそも、アタック25は昨今、完全にクイズ好きを排除しているフシがある。「3回出たおまえが言うな」と言われそうだが、私はそれはそれで仕方が無いことだと思っている。それはアタック25が生き延びていく上で、どうしても必要なことだと思うから。

・結局、普通の人がクイズに挑む姿が、一番面白いのである。クイズ好き(=マニア)が普通の人と同化し得た時代はとっくに終わってしまった。ウルトラクイズで言えば、第11回までは「クイズ研究会」というものの存在をほぼ隠しおおせていた(ま、例外はあるにしても)。第12回のオープニングが、クイズ研究会の徹クイの様子から始まるのは象徴的である。あの瞬間(つまり1988年秋)、クイズ研究会は一般人のクイズ的利害を侵食するものとして認知され始めたのである。

・アタック25では、クイズマニアと一般人は別の回に振り分けられるようになった。が、クイズマニアはだんだんと招かれざる客となっていった。一般人がクイズ番組に求めるものが変わっていったからか? いや、たぶんそうではない。一般人がクイズ番組(というか「アタック25」)に求めるものが、実は全然変わらなかったからではないか? 一言で言えば、クイズマニアは、クイズをやりすぎてしまった。クイズマニアは、視聴者の「疑似体験」を、満足させないくらい、面白くないくらい正解をたたき出してしまう。かと思えば、早押ししすぎて勝手に自滅するし。視聴者と同じレベルの出場者だから、多少の優越感を持ってテレビを見ていられるのだ。

・テレビを見ている人は、多少の優越感を持ちながら見ている状態が一番心地良いのではないか。そういう心理的な面にこそ、クイズ番組は配慮すべきなのではないか。とか思ったりして。

・追記。先日、アタック25に3年間私のクラスの生徒だった女性が出演していた。結果は・・・残念でした。しかし、アタック25で彼女の近況を知るとは。