今年を振り返る

・今年は本業がやや忙しく、HPにも125問しか更新できなかった。私も成文化しない問題がじゃんじゃんたまっていく・・・こんな経験は珍しい。知的生活のあり方が、加齢とともに変わってきたということだろうか。

・今年のクイズ番組を振り返る・・・のは私には無理。普段本当に全然クイズ番組を見ないからである。このツイートを見るにつけ、「私は本当はクイズ番組をあまり好んでいないのでは?」と自己発見する日々である。

・一方で、ゴリゴリの「競技クイズ」である「EKIDEN」「abc」がBSに初登場したのを見た。一般の人の反響ってどんなもんだんだろ。私の感想は・・・「見てて疲れた」。いやー、クイズにはこういう世界もあるんですね。基本的には「早押し至上主義」と言える。「早押しこそクイズだ!」という状況は、まだまだ当分続きそう。

・「早押しクイズ」は非常にテレビ映えする形式であることは間違いない。テレビのクイズ王決定戦から離れて独自の進化を遂げてきたはずのクイズ界が、早押し以外の形式を磨いてこなかったのはどうしてなのだろう?

・実はクイズ屋さんたちが目指してきたのは、テレビから離れたにもかかわらず、「テレビ映えする要素をとことん追究すること」だったからではないか。もっとはっきり言えば、「史上最強」のもつ2大要素「超早押し」「知識主義」を、様々な形で「別々に」or「併せて」追究したのが今の主流派のクイズだということ。「abc」は言うまでもなく「超早押し」の所を突き詰めた(史上最強の早押しに出るような問題を、社会人たちは「基本問題」と呼ぶはずだからね)。「KnockOut」は(おおざっぱに言って)予選で知識主義を、本戦で超早押しを見せた。「史上最強」に含まれないようなクイズ的要素は、少なくともメインストリームと考えられなかった。

・この辺は、クイズ屋がテレビから離れた(つーかテレビ番組に出られなくなった)1995年頃からずっと続く傾向だと言える。このころ生まれた「長文難問」は、知識主義と超早押しをマッチさせようとした「発明品」なのだが、これを「テレビのクイズにあった制約(難易度・問題文の長さ)を破ろうとした問題群だった」と位置づけるだけでは、事の半面しか見えていない。「テレビ映えする要素の飽くなき追究」=「テレビで放映するに堪えうるクイズの追究」という無意識的な意図が隠されていたことを銘記しておくべきだろう。

・だから、BSだろうがなんだろうが、本気の「クイズ王決定戦」ができたとき、みんな手放しで(たぶん)喜んだのだ。自分のしていたクイズが、いかにマニアックで世間と隔絶されたものであろうと、いつかテレビで活躍できる日を(心の何処かで)信じていたということだ。常にクイズ屋の頭にあるのは、「テレビ」なのである。

・全然今年を振り返ってねーじゃん。つい筆がすべってしまうので。

・仕事柄、最近小難しい評論ばっかり読んでいるので、頭が屁理屈っぽくなっていかんですな。