誰もが自分を愛しているだけの悲しいゲームさ

・私が危惧するのは、クイズというものが既出問題を暗記しまくるだけのゲームに成り下がることではない。解答者の意識など知ったことでは無い。既出問題を手本として(たとえばこういうところを見たりして)、「こういうのがクイズ問題として適切だよね」と無言のうちに確認し合い、類題を作成し出題し合うだけのゲームになることの方を強く懸念する。

・「こういうのがクイズ問題として適切だよね」という意識は、簡単に「こういうことさえ聞いておけば、クイズとして成立するよね」という意識に転化しうる。例えば「世界遺産の説明文」とか「元素の発見の経緯」とか(他にもいくらでもあるが)を、ネタ本から引き写せばクイズができたような気になる。かくてクイズ作成がどんどん安易に堕していくが、そういう「クイズ問題のようなもの」に正解することで満足を得る人が多いわけだから、仕方ないのだろう。新聞等に月並俳句(=よくある発想の俳句)が投稿されまくっているのを見るにつけ、人々は「のようなもの」を「制作」する趣味を持つことが多いのだろうと感じている。