たまたま私たちは、走っているのを見ないのです

・いろいろなツイートにインスパイアされて、自分の昔の文章を読み直した。私がここ20年近く、一貫して問題意識として抱いているのは「なぜクイズは広がる方向ではなく、狭まる方向にしか進まないのか」という点である。クイズは何でもありのはずなのに。

 

・クイズというのは、どうしてもそういうものなのか。それとも、今まではたまたまそういう方向にしか進んでいなかったにすぎないのか。私の中には答えはあるが、まあそれは追い追い。

 

・その話の前に、しつこいようだが「第13回ウルトラクイズ」のお話。ウルトラクイズのスタッフが、第13回はクイズマニアが集まるように仕組んだ結果、ああいう感じになったという説がよく聴かれる。

 

・その状況証拠になり得るのが、この年の後楽園〇×はクイズマニアに非常に正解しやすかった、という事実である。ただ、私はこれは「たまたま」だったのではないかと考えている。クイズ研究会を残すような番組を作るとは、どうしても考えづらいのである。私がそう考える根拠は、第12回ウルトラ第2週直前に放送された「追跡」の内容である。

 

・この放送で、福留氏はウルトラが若者ばっかりの番組になることを危惧している。大学クイズ研=画一的な若者という図式があるとすれば、そういう人を集めるかなあ?

 

・もう一つの状況証拠だが、福留氏が「クイズ研を落とすのはたやすい」かのような発言をした点について、つーことはクイズ研を落とさなかった第13回は、意図的に残したということじゃん、という図式が成り立ちうる。これについては、次のように考えている。

 

・第13回で図らずもクイズマニアが残りまくったので、その方向で何とか番組は盛り上げた。ただ、これは本来のウルトラクイズの姿ではない。この反省(?)を活かし、どうすればクイズマニアを落とせる〇×クイズになるかを、スタッフはかなり研究したのではないか。その中で「マルかバツかを判断しにくい問題」かつ「テレビで放送しておもしろい問題」=微妙なでっちあげ問題、という結論に至ったのではないか。

 

・だから、これもよく言われることだが、第14回の後楽園は問題の質が相当変わっている。3問目「制服の警察官は、事件がない時、不安を与えてしまうので、むやみに走ってはならない」。いわゆる「規則違反問題」なので、普通に考えればバツなのだが、「制服の」とか「事件がないとき」とか、やけに限定の仕方がイヤらしくなっており、結構悩ましい。しかもお得意のバツ3連発だ。他には「解毒キノコ」も「景徳鎮の便器」も強烈。で、クイズマニアの残らないウルトラクイズになったというわけ。

 

・このときの成功体験をもって「クイズマニアは落とせる」と自信をもつに至ったのではないか、というのが私の説。たった1回の成功体験で、「ウルトラクイズというのはクイズマニアを残すも落とすも自由自在」と語るわけないじゃん、とお思いのあなた。振り返ってみましょう。

 

ウルトラクイズのスタッフの回想は、少しの具体的な話を大きく膨らます傾向がある。例えばこないだの「たけしのこれがホントのニッポン芸能史」でも、5万人対1人と言っていたが、5万人を相手にしたのは最終回だけでっせ。福留氏が最初からウルトラクイズをすべて仕切っていたかのような発言もあったが、本当に最初から? これらは、嘘をついていると言うより、話が自然と盛られてしまっているのであろう(いずれウルトラ関連書籍の誤りの指摘は、暇になったらやってみたいと思っている)。「クイズマニアを落とせる」も、その類ではないか。

 

・また、そもそもウルトラクイズは、クイズマニアを落とそうとも残そうともしなかった回が殆どなんですよ。第4回や第7回や第9回のように、たまたま残らなかった回もありますがね。他の回は適度に(どのくらいなら適度なのかは不明)クイズマニアがまぶされているでしょう。つーか、クイズ王のうち12人はクイズマニアなのです。だから、私は第14回でクイズマニアが残らなかったのも、たまたまだと思っている。

 

・結局、すべては「たまたま」なのである。第13回ウルトラで長戸氏が優勝し、カリスマ的人気を博したのも、第2回史上最強で辛くも西村氏が決勝に残ったことも、そもそもウルトラクイズが松尾さんから始まったことも、本来は「たまたま」であり、別の結果もあり得た。ただ、これらを歴史的な流れに位置づけると、どうしても「クイズ史の必然」だったかのように見えてくるから不思議だ。

 

・ということで、「クイズの進化は中立説で説明すべき」との立場をとる。この前提をもって、「なぜクイズは狭まってしまうのか」を説明したい。ま、追い追い。

 

・クイズと関係ないが書いておきたいので。「3時のヒロイン」は子どもを連れてルミネに行ったとき、前説をしていたので直接見ている。真ん中の福田さんの小気味の良いしゃべりに非常な好感をもった。ネタ口調が薄れていったらもっとはじけると思う。上手い女性芸人は、元々ネタ口調でも、それがだんだん自然な口調に洗練されていく。例外なく、そうなる。つまり、「さんま御殿」に出るときが勝負だということです。