オレだけの秘密の戦略

・で、お前は結局何が言いたいんだ、と思っている人が多いだろうから、前回の続き。

 

・前回述べたように、「史上最強のクイズ王決定戦」は、昭和クイズ番組ブームと、当時の最新早押し理論を同時に達成することで、すべての世代のクイズプレーヤーに対する配慮を成し得たクイズ番組であった。で、そこには問題監修の道蔦氏のクイズ的価値観や美意識が、見事に結実していた。

 

・私は、この道蔦氏のクイズ的価値観や美意識こそが、平成クイズ史のすべての現象を読み解くカギになっていると考えている。平成クイズ史においては、道蔦氏が考えて(主に「史上最強」で)実行してきたことを、部分部分拾い出してきて、それぞれを発展させてきた現象だけが「主流」と見なされてきた。「史上最強」で行われなかったことは、どうあっても「主流」にはなれない。具体的にどういう動きがあったかは別稿に譲るが、そう仮定すると、様々なことがすっきりと理解できてしまう。例えば「問題の形式」「文体」「出題ジャンル」「問題の読み方」などなど。

 

・ひとつだけ例を挙げておくと、「道蔦本」では昭和60年の時点で、既に平成中期にクイズ界を席巻した(しすぎた)「前振り長文クイズ」について触れている部分がある。長文のストレート問題として、「連合国側の「ノルマンジー上陸作戦」を指揮し、のちに第三四代アメリカ大統領になった「アイク」の名で親しまれた政治家は誰でしょう?」という例題を挙げ、「より早いポイントで押せるようになるには、より深い知識を持っていなければならない」と説明している。「史上最強」にも当然反映されているこの要素を、平成6年くらいから10年以上深掘りしまくって追い続けた人達がいて、それがいかにも「正統的なクイズだ」と主張されていたという歴史的事実は、確実に存在している。

 

・私は、道蔦氏と面識も無いし、別に功績を称揚せんがためにこうした文章をものしている訳ではない。もちろん、クイズの裾野を広げた功績は非常に大きいと思う(褒めすぎか?)。

 

・ただ、わざわざこのような文章を記したのは、現在過去未来すべてにおけるクイズ分析の際に、氏の行跡を一種の「物差し」として使えると思ったからである。早い話、分析にはスタート地点があった方が楽なわけで、そういう存在を見つけたから紹介したかったということ。ま、結局そういう分析をするのもオレだけか。

 

・書いた理由はもう一つある。「史上最強」の客観的な分析ができるのは、多分私だけじゃないかという気がしたから。おっさんのくせに、TBSの放送されていない地域にいて、「史上最強」を全く見ずに青春時代を過ごしたからね(本は読んだけど)。

 

・M-1で言っていたが、漫才の歴史はダウンタウン以前と以後で分かれるそうだ。それはいつも私が言うように、ダウンタウンはそれまでのお笑いをすべて踏まえた上で、新しいことを混ぜ込み、さらに圧倒的な支持を受けたからだ。クイズで言えば、それが道蔦氏だ、ということですね。ちなみに私は、「当たってくだけろ」も殆ど見たことありまへん。

 

・一応この話にかこつけて付記しておく。一番分かりやすいのは第9回アナポリスで、島畑さんが勝ち抜ける直前3問。3問連続「では」のパラレルなのだ。で、「では、カンパリといったら」「では、ほらふきのつく嘘は何色」の2問については一拍置くが、「ではタレント高見恭子の父親は」では続けて一気に読んでいる。まあ、その都度自然な読み方をアナウンサー的感覚で選んでいるのでしょう。少なくとも、クイズのポイントという観点で読み分けている訳ではない。私は、問題読みというものはそれで良いと思う。