パラマキクイズ(クイズについての意見をパラパラ断片的に述べること)

・クイズ論議が活発化している、ようだ。原因は「ナナマルサンバツ」のアニメ放送である、ようだ。すいません。全く見てません。ファミリー劇場を見られる環境にないし。そんな私が指摘することでもないと思うが、アニメ放送が中高生をクイズにいざなう大チャンス!と意気込みすぎない方がいいのではないかと。

パラレルについて。「ちょっとした指摘も嫌がるオッサン連中」が誰で、どんな風に嫌がっているのか知りたいところだが、それはちょっと置いておく。

・そもそも、パラレルとか分岐とか複合並立型とか、そういう分類はクイズを解答者側から分析した結果得られたものだった。だから、作る側はそんなことを意識する必要は、本来ないはずである。誤解を招かない問題文さえ作れれば、それで問題として成立する、はずだった。少なくとも、ウルトラクイズまではそうだった。

・ところが、分類ができると(=傾向分析と対策が進むと)、その分類に沿った文型にはまっていない問題を、非難・排除する空気が醸成されていく。てなことは、15年前に指摘しておいた。この論に述べたようなことがクイズの難化・狭隘化の根底に流れている。そしてその後、早押しのスピードを(人為的に)限界まで速めるようにもなっていく。「1 クイズ問題文型の研究」→「2 クイズ問題文型の固定」→「3 クイズ問題の難化」&「早押しの高速化」=「クイズのお約束化」=「クイズの狭隘化」という歴史的な流れを押さえておこう。

・先の私論で想像できていなかったのは、クイズの狭隘化=お約束化が問題の読み方にまで及んでしまったことである。パラレル問題はさらに細かく分類される。その他の問題形式も細かく分類されているようだが、それは「問題作成のため」というより、読み方(=抑揚とかアクセントとかスピードとか何処で一拍入れるかとか)を決めることが主たる目的であるかのように感じる。もちろん、それはすべて「解答者が限界まで早押しできるような読み方」を追究した行為であろう。特にパラレルなんかは超早押しを演出しやすい文体であるから、当然と言えば当然だ。

・お約束はお約束で別に否定しないが、ここまでお約束が広汎に細かいところまで行き渡ってしまうと、解答者はもちろん、問題を作る人、読む人、競技クイズと呼ばれる世界に関わるあらゆる人に、超人的な努力が必要とされてしまう。そんな状況に、新たに入って行こうとする人が多くいるのだろうか。たかがクイズをするのに、超人的な努力はそぐわない。

・ちなみに、わたしの大学時代の「~ですが問題」はかつてまとめたことがある。参考までに。この程度で「自由な発想の作問」と言われてしまうと、よほど皆さん不自由な作問を強いられているんですね、と同情を禁じ得ない。当時のTQCは、こんな問題ばっかりでしたけどね。

・中高生等をどうクイズの世界にいざなうか、最近色々な意見が出ている。私は「たほいや方式」あたりが無難ではないかと。深夜番組でタレント的な人たちが、クイズを出し合って面白がっている姿を放送するとかね。具体的には、50問1パックくらいの問題セットを渡して、タレントたちが「流し」のクイズをする(ルールは何でもいい)。興味を持った一般人のために、問題群(50問1セットくらいのパック)を山ほどネット上に置いておき、ダウンロードして自由に遊べるようにする。ダメかなあ。

・私は「アタック25」のパネルもマス目なのだと初めて知った。

・「大人のクイズ」についても一言。正確には「大人の遊びとしてのクイズ」と言うべきですね。これは「クイズに生活のすべてをかけて打ち込む」の逆に、「社会人としての生活がまずあって、その中で無理なく楽しむクイズ」のことをそう呼んでいる。アタック25の30周年大会で地区代表に選ばれた日に大事な仕事があったらどうする? ホールドオンの収録と仕事がかぶったらどうする?→私はどちらも仕事を選んだ。公務員だから当然でしょ。

・前回の記事の続きを書くと、仕事をリタイアしたあと、いよいよ私の「The Third Quiz」の始まりとなる。「大人の遊びとしてのクイズ」のあと、「老後の遊びとしてのクイズ」がある。その頃に「ねんりんピック」に「クイズ」があったら、ぜひ出題者として出場したい。

この方の意見に対して、世間がどう反応しているのかもあまり分からない。私の言う「大人の遊びとしてのクイズ」を実践されているのだろうから、各論に対してはほぼ賛同している。中高生とクイズ的に接するおっさんたちへの戒めとしては、最高の内容だと思う。ただ、この文章を中高生がどう読むか。仕事柄、高校生とめちゃめちゃ接しているから骨身にしみて分かることだが、基本的に高校生は負け嫌いである。とにかく勝負にこだわる姿勢を見せるものである。そんな高校生たちに「勝ち負けを越えた境地」が理解できるか、という点については、違和感を覚えてしまう。