「東大風」=東大じゃないのに東大っぽいね、という意味

・ちょっとマニアックな話ですが(いつもじゃん)。長文です。


・「東大王」とやらで東大クイズ研のイメージが全然変わってしまった今の時代、「東大風って何?」という向きも強いが、昔話として記録しておく。まず、東大風の起源なるものを解説するとすれば、概ねここに書いてある通りだろうと思う。では東大風って何?と言われれば、「~なのは何故?」とか「クイズに出す単語をどんどん広げていく」とか、「身もふたもない問い方をする」とか、まあそういうやつか。

・まあ、私は直接のモロな関係者なので、「東大風」の歴史をひもとく資格はないわけで、この辺の分析は後進に任せる(誰がするんだそんなの)。今日話題にしたいのは、「クイズは誰の影響を受けるのか」という話。

ビートルズリバプール訛りの歌い方(は私にはよく分からんが)は、ポピュラーソングをアメリカ英語で歌うべきだとする呪縛から、イギリスの若者を解き放った。彼らはそこに「自由」を感じた、らしい。表現者が、何かをきっかけに自由を感じてインスパイアされる、という状況は非常に多い。

・そもそもクイズ問題というのは、型通りに作ってしまいやすいものである。疑問を表す文ならどんな文でもクイズ問題となる、はずなのだが、実際はそうなっていない。問題文の自由度というのは、案外低いものなのだ(そういう傾向はどんどん強まっているけどね)。

・私が大学に入った頃(1994年)のクイズ研究会界隈の問題群が、まさにそうだった。クイズ王決定戦に対応するために、似たような問題を量産し対策しまくった。その残滓でオープン大会が行われていた、と表現すると言い過ぎだろうか。もちろん、問題文に自由度がないことが、クイズが楽しくないこととイコールではないことは分かっている。ただ、私にはあんまり楽しくなかった。

・そんな中、水谷さんや秋元さんの問題群は、鮮烈だった。問題文の自由度をひらっと越えているように感じたからだ。正確にはお二人の作風はちょっと違う。水谷さんは既存の問題文の形式を使ってパロディーを行ったり、それまでクイズに出ないような題材をそこに乗っけたりした。割と「クイズ」を相対化する試みが多かったように思う。

・秋元さんは1問1問練りに練って作る。だから、問題にハズレがない(私はいっぱいある)。とにかく、1問1問に主張とか問題提起とかが感じられるのである。たとえてみれば、水谷さんは大喜利で言うところのバカリズムであり、秋元さんは千原ジュニアと言うところか。因みに私は・・・堀内健を目指したい。

・要は、「どんな問題でも作って良いんだ」「こういう問題を発表しても良いんだ」ということを、お二人から学んだわけだ。だから、問題の文体の面で直接的に影響を受けた、と言う感じはあまりない(ちょっとはある)。そんな1994~5年あたりは、私だけでなくいろんなメンバーが、好き勝手に問題を作りまくった。どんな問題を作っても誰も文句を言わない。そんな環境が、楽しくないわけがない。もうクイズが楽しくて仕方がなかった時代だ。ちなみに私は広報担当だったので、それをかさに、ウチの代の問題をムリヤリ集めて、後にちゃんと冊子にまとめといた。これは非常によいことをしたと思っている。

・このころ、クイズ界(なんてあるの?)では奇しくも長文前振り問題が本格化している。つまり「長文前振り問題」も、「東大風」と同じ時期に、クイズ王決定戦的な問題群ではない、新たな問題群の模索から萌芽が見られた別の流れだったのである。ただ、長文前振り問題の方が進化と完成が速かったから、同じ時期に見えないだけだ。

・さて、私がなぜ鶴君=東大風と言ったのかというと、鶴君は、私たちの世代がむちゃくちゃに作りまくった様々な問題群の特徴を、少しずつ含んだ問題群を作っているからである。そこにもちろん、鶴君の個性(ぶっきらぼうな感じとか)が加味されているわけで、そういう意味ではやっぱり鶴君のオリジナル。要は、彼は東大風の完成者だということだ。で、後の時代の人(土屋君とか松崎君とか)は、基本的に鶴君の影響を受けていると思うので、やっぱ「東大風は鶴君のことだ」と言いたくなるのである。東大じゃないけどね。

・鶴君にとって嬉しいたとえをしておこう。漫才ブームの後に既存の漫才の新しい部分をほとんど併せ持ったダウンタウンが現れたでしょう。これが鶴君の問題なわけ。ダウンタウンだから、彼は問題を作り続けるしかない。「これが俺のスタンダードだ!」「引かば引け!」とばかりに、出題しまくってちょーだい。