一顧問として思う

・昨今の「高文連クイズ部会問題」について、思うところを。

・基本的なスタンスはここに書いたとおりだが、すこし付け加える。そもそもの大前提として、「どんだけ高校生ががんばって活動したとしても、高文連麻雀専門部会とかトランプ専門部会とかナゾトキ専門部会はできないよなー」という話なら、誰しも納得がいくのではないか。クイズ専門部会も、そういう類の話だと思う。

・私はそもそも「クイズは遊びだ」と思っているので、部活動ではなく同好会で活動する方がふさわしいと思っている。麻雀もトランプもナゾトキも、そういう類の遊戯だと思う。百歩譲って「競技クイズ部」を作るなら分からないでもないが、それを実現できる体力をもった公立高校が、そんなに存在するとも思えない。

・だいたいなぜに、かくも「高文連クイズ専門部会」を作りたがっているのか。無い方が自由に遊べると思うのだが。考えるに、「高文連クイズ部会を作るために努力すること」以外に、日本クイズ協会の存在意義を設定できないからではないか? だって、定款にある事業内容って、ほとんどはもう誰かに先を越されている(そして成果がある程度出ている)ことばっかりだもの。「ランキングや段位認定があるじゃん」と思う向きもあろうが、協会がランキングつけたってどうせ誰も納得しないって。 

・そういえば、「クイズ界」とか「クイズの普及」とかについて、多少の議論を目にした。「クイズ界」を広げることが「クイズの普及」ってわけでもないよなあ、・・・と思ったところで、ふと疑問が浮かんだ。「クイズ界」って何処?

・「クイズの普及」ということについて言えば、「クイズを非日常としている人達」が、日常的にクイズに触れる(テレビを見るというレベルではなく)ようになるのが「普及した」という状態なのだろうか。だとすると、私は「クイズが普及する」ということについてやや悲観的な見方をしている。もし、もうちょっとゆるい基準(クイズの本を読む、とか)で「普及」を定義するなら、実現可能性が高まる、とも思う。どっちにしても、「普及」ってどういう状態?

・多くの一般の人は、クイズが非日常だから面白いと感じるのではないか、と言うのが私の仮説。例えばボウリングを毎日のように楽しんでいる人もいれば、ごくたまに遊んで楽しむ人もいる。クイズもそういう感じだろう。ただ、ボウリングはヘタでもヘタなりに楽しく遊べるが、クイズは基本的に答えられないと全然楽しくない。そこにも普及を妨げる壁があるように思う。

・翻って「クイズ界を広げること」なら、少しだけ実現しているように思う。それはそれで、まあそれなりに喜ばしいことだと思う(皮肉ではない)。ただ、クイズ界を広げることと、クイズ界で行われているようなクイズが文化として日本社会に根付くことは、たぶん一致しない、かな。