上岡龍太郎にはダマされないぞ!

・昨日からやたら訪問者が多い。これはいかん。なるべくひっそりと小声でつぶやくためにブログにしてるのに。こうなったらごく一部の人に向けてだけの記事を書いてしまえ。

・「昭和お笑い史」の人なのに『教養としての平成お笑い史』(ラリー遠田)を読了。「壁」がなくてもちゃーんと勉強してるのだ。それはともかく。

・やたら宣伝めいたネット記事が出ていることでも知られる同書だが、お笑いがそこそこ好きで、本をそこそこ読んでいれば書ける内容かな、という印象。いくつか気になったことを。

・平成のお笑いを語る上で、「爆笑オンエアバトル」は最重要視しなければならないポイントであると思っている。「オンバト」の5分という時間制限が、その後の「ショートネタブーム」を引き起こすスタート地点になっているからだ。これを外したら、「通史」という意味をほとんど持たなくなってしまう。

・「M-1」に触れた2章の内容が極端に薄い。特にスリムクラブに触れた章は、結局何が言いたいのか結論がわからない。「スリムクラブが優勝していれば、手数(てかず)ばかりを重視していたお笑いブームの終焉を、M-1の終了がきれいに象徴したはずだった」くらい書けばいいのに。ここから震災の後の自粛の話につなげるのは、さすがに無理あるっしょ。

・「笑っていいとも」終了の章。「MCであるタモリが番組の一部に出ないというのはそれまでありえないことだった。」(210ページ)という記述は、明らかに誤りである。例えば「美少年コンテスト」には出ていなかった(MCは桂文珍)。それ以外にもそういうコーナーは番組の初期にちょこちょこあった(高田純次所ジョージのコーナーとか)。「森田一義アワー」というサブタイトルに、惑わされてはいけない。

・この辺はウィキペディアにも載っていないようだから、悪意のない単なる事実誤認なんだと思う。ただ、少し詳しい人に裏を取ればそれで済む話だ。「教養としての」と銘打つ以上は、正確な記述が求められる。しかもこの内容が事実かどうかは、本文の主張の根幹に関わってくるのだ。自らの主張をうまくこじつけるために、事実をねじまげたんじゃないの?と疑われてはいけないのである。だから、なるべく正確に話を進めたい。とまあ、この辺の話は『タモリ論』を批評したときにも指摘してある。

・この著者は、少し昔の話になると途端に「まとめサイト」のような記述になってしまう(たとえばここ)。今のお笑いを語るのは得意なようだから、歴史を無理に追わず、今のお笑いシーンだけを追っていった方が危なくないのでは? 

・ということを、本当はクイズに関する雑誌について述べるべきなのでしょう。それは誰かに任せます。私は「昭和お笑い史の人」ですから。

・なお、平成初期までのお笑いの通史として、「テレビお笑いタレント史」(山中伊知郎)を強く勧めたい。非常に丁寧に作られており、とにかく必読書である。ちなみに、「99人の壁」自宅取材で私が勉強している(フリをしている)ときに見ているのがこの本。